「あの、代わりましょうか?」
「い、ら、ん…!」
きつい坂道を。
人ひとり後ろに乗せながら、汗だくになってペダルを踏みしめる人。
肩越しに見えるその顔が酷く辛そうで、何度目かになる言葉をまた投げかける。
「やっぱり、トーマスさんに車回して貰った方が」
「この部品は俺が発注したものだ…っ!奴なんぞに任せられるか!」
じゃあなぜ自分を連れて出たのかが分からない彼女だ。
いつも彼が羽織っている白衣は、お荷物になっている自分の腕の中で丸められている。
ハンドルを握る腕は袖を捲って肌色が露わだけれど、その分血管が浮いていて、
それだけ必死にこの坂を終えようとしているのが分かる。
普段インドアで研究にばかり精を出しているから、きっと体力はそうない彼。
免許も持っていないらしい彼。
その癖、ここで彼女が地面に足を下ろす事も許さないのだから、困った男だった。
「降りるなよ、今降りたらお前を置いて行くぞ…っ!」
どちらかといえば降りて歩く方が早いと思う。速度的に。
あえて口には出さないけれど、荒い呼吸で喉を鳴らす彼を見ているとそうもいかない。
眼鏡の奥の瞳が次第に虚ろになってきているような気もするし、顔色も良くない。
01:04:33
流石にもう止めさせなければ色々と危ないんじゃないかと思い、腰を浮かす。
「私!降りま」
「ばっ…!掴まってろド阿呆っ!!」
「え?」
その途端。傾斜角が逆転した。
がくんと揺れる車体。轟と唸りを上げて吹き抜ける風の音。
彼は坂の頭頂部に到達していたのだ。かくて訪れるのは「下り坂」。
「ひっ…きゃわああああああああああああ!!」
ジェットコースターに変貌する手動のマシン。車輪が悲鳴を上げるほど。
先ほどまでの愚鈍が嘘のように加速加速加速する。
浮かせた腰が後部座席に逆戻りして、周りの景色が尋常ならざるスピードで吹き飛んでいく。
ベルトも命綱もない中で縋るものが欲しくて、無我夢中で目の前の背中にしがみついた。
汗とコーヒーの匂いがした。
「はっははははははは!!」
「なんで笑ってるんですか!?怖い怖いとめてー!!」
どれだけそうしていたのかは定かではないが。
長い道が終わったとき、彼が妙にすっきりした笑みを浮かべていた事は確かなようだ。
「次はお前がやってみるか?」
「しません!アルバートさんのバカ!」