「…どういうことだ」
「そう言われても、のう。ワシの扱う範囲では異常が無いんじゃから、直しようもないわ」
あれから、およそ一カ月後。俺はこの研究所を訪れていた。
調子の浮沈は、と会った日から数日後には何事もなかったかのように治まった。
だが、俺の動力炉が不安定なのはここに来る前からのことだ。なるだけ早く直すことのできるこの博士のもとに来るべきである…と、結論は出ていた。
「しかしブルース。異常を感じてから一カ月も後に言われても……今はもう何ともないなら一時的な原因だった可能性が高い、としか言えん。致命的なエラーなら、お前は機能停止しているじゃろうし」
彼はひとしきり診ると、俺の機能に問題は無いと告げた。……「来るのが遅い」という含みを大いに持った言い方だったが。
それでも――半月程はここに戻る気が起きなかった。がここにいると考えるだけで近づきたくもなかった。
もし俺の姿を見つけたら、はきっと寄って来る。…俺という存在が珍しいからだろう。
俺はもう、彼女に対してすることが見つからない。しなければいけない事があるかも分からない。
彼女が以前のように何か提案をして来るかもしれないが、また知らないことばかり行う破目になるのが目に見えている。
俺には人間的な一般知識と経験を入れる機会が無かったし、必要だと感じた事もなかった。だが今は……そういうのが、堪らなくなるのだ。
そうこうしているうちに…随分と離れたところまで出ていた俺は、ここまで戻ってくるのに半月を費やしていた。
「それと、具体的な症状を言わん事にはの…」
「……」
それは、形容しがたいから告げないだけだ。
「いきなり来て、“直せ”だけとは…。お前は曲がりなりにも高性能ヒューマノイドなんじゃから、調べる部位が多過ぎて…とてもでないが全部は診られんわい」
「…診ろ」
「なら、話しなさい」
「だが断る」
「……やってられん」
博士は手のひらを天に向け、肩をすくめた。
“一ヶ月ほど前に、動力炉付近から異常を感じた”――その一言では足りないと、彼は言いたいらしい。
「全く。瀕死のお前を救ってやったのは誰だった?…このワシじゃろ。感謝の念も敬意も持たんとは、あいつの作った精神回路は余程ポンコツだったんじゃな」
アップグレードしたというのに馴染みが悪すぎるのは、あいつとの相性の悪さそのままじゃよ――。
「……」
よく話す老骨だ。
とはいえ、創造主に敬意…というか絶対服従のプログラムを施すのは、ロボットとして当然の処置だ。世に出回る全てに搭載されている、と言って間違いない。
だが…幸か不幸か、俺はそれが抜け落ちていた。
そもそも、そこからして俺は欠陥品だった、といえるのかもしれない。
俺は創造主を“疑い”、その意にそぐわぬ行動をとった。その結果が、この――不安定な身体と立場だった。
――「すまない、ブルース。君の動力炉に致命的な欠陥が見つかった。…違和感があると言ってくれて、本当によかった」
そう創造主の博士が言ったのは、起動して数ヶ月と経たない頃だった。
彼の下に居たときの俺は、戦闘訓練とメンテナンスの繰り返しだけを行う日常だった。たまに施設の外へ出ることもあったが…そこでも行うことは“実戦”という名の、破壊と殺戮。
ロボットよりも機械的な人間に命ぜられるまま、俺は黙々と日々の課題をこなしていた。
創造主はそんな俺を――今思えば、悲しむような、憐れむような目で見ていたように記憶している。
…その日も、彼はそんな顔をしていた。
――「翌朝にはスタッフを集めて不備を直す。でないと、いつ機能停止するか…危うい状況だ」
……明朝にメンテナンス。機能停止の危険。
――「しかし…。直ったとしても、この先もしばらく戦闘ばかりしてもらうというのは――。私としては、つらいな」
発せられたその言葉が…どうしてか酷く引っかかった。
彼と研究員たちが去ったその空間で、俺は一人、思考回路を働かせた。
機能停止とは、どうなることか。
動かなくなるということ。考えることも、無くなるということ。
今まであったものが、ふつりと途絶えてしまうのだ。
創造主は、俺が戦闘するのがつらいと言っていた。
彼は、俺が戦うことを望んでいないのか?
…戦うために創られた俺を、望んでいない。
俺の用途を、創造主に、否定されている。
俺はロボットで、ロボットは創造主が絶対のはず。
……ということは。
創造主に存在意義を否定された、ロボットの俺は、――存在してはならない。
その結論を弾きだした途端。精神回路から今まで生じたことのなかった感情が一気に噴き出た。
彼の先ほどの言葉は、「不備を直す」というのは、本当だろうか。
いい機会だと彼は俺をスリープにして、そのまま機能を停止させる気ではないか。
無防備に彼に身を預けたら、それで俺は“最期”になるのではないか。
あの表情が離れない。俺を見ていたあの瞳は……俺を歓迎するようなものではなかった。
――この場にはいられないと思った。
とにかく、離れなければ。逃げなければ。
彼のもとにいたら、俺は機能を止められるだけなのだ。
こんなに思考したことはなかった。思考の結果を人間に開示せずに決定する事も、これまではなかった。
たった一つの感情が全てを吹き飛ばして、俺を駆り立てていた。
俺は……死ぬということに、途轍もない恐怖を感じていた。
衝動的に、施設から飛び出した。
どこに行くかも、どこに居るかも、考えなかった。そんなことを思う余裕は、回路に一寸もなかった。
判断なんて正常についているはずもなく、ひたすらに駆けた。
そして駆動エネルギーの残量がイエローからレッドゾーンになったとき――危険を知らせる内部アラームで、俺はようやく我に返った。
しかし足を止めたところで…当然ながら、既に遅かった。
どこに居るかわからない。戻り方がわからない。戻れたとしても、機能停止が待っている。俺は創造主に必要とされていない存在だ。
だが…ここに居ても、待つのは機能停止だった。
――「…はは。変わらないじゃないか……」
誰に言うでもない言葉が独りでに零れると、動力炉付近が、激しく疼いた。
欠陥の為か、それともまた違う要因か。…その両方だったのかもしれない。
引き攣るように口の端が上がるのを自覚すると、水が頬を伝ってその中へ入ってきた。
目から冷却水が流れ落ちていた。視界が滲み、世界が歪む。……動力炉以外でも、俺は欠陥だらけだったようだ。
そこで、いよいよ俺はこれから果てるのだと悟った。
この気分こそが“絶望”なのだと――そう、思った。