――「そうか、お前はライトの――」
聴覚センサに声が届いたのは、冷却水を空にしてからどれくらい経った頃だったか。
極限まで稼働エネルギーを下げてはいたものの、俺は既に言葉を発する事さえままならない段階まで来ていた。
だが、自分に語られていることを把握した俺の回路は、長らく閉じていた瞼を上げる命を下した。
緩やかに開ける視界の真中に見えたのは、しゃがみ込んで俺を見つめる一人の壮年の男だった。
特徴的な白髪と顎のライン。直接会ったことは無けれど、覚えがあった。
(…おまえは、確か……)
――「このままだと、お前はここで死ぬぞ」
しわがれたその声は、すげなく事実を突き付けた。
…そんなことは分かっているのだ。これ以上彼にエネルギーをまわすのは死期を早めるだけと判断を下し、俺は再び瞳を閉じかけた。
――「生きたいか」
瞬間、俺はその男をはっきりと捉えていた。
(…………)
大きく見開いたアイカメラが、彼の瞳とかち合った。齢を重ねた人間特有の――創造主と同じような、やや濁った色。
――「…そうか。ならばワシのところに来い」
(…何故わかる?)
一言も言葉を発していないというのに、男は己の判断を疑う事なく口の端を上げて、僅かに目を細めた。
(話を勝手に進めるな)
抗議は届かない。届ける術を失った俺は、ひたすら眼に訴えを乗せた。
――「安心せい。ワシが責任を持ってお前を生かす」
それしか道は無い。お前はただ任せればいい。彼は言葉を連ねる。
……信じて、いいのだろうかと、思いがよぎった。
(…………)
人から受ける眼差しは、無機物とは異なる熱がある。
彼のそれは…あの創造主と似て異なるモノを深くに宿していた。かつて命令されて赴いた現場で噴き出していた、ガスの炎が想起される。
(ワイリー……俺、は)
ただ…死にたくなかった。
あの施設で、創造主の手で、この見当もつかない土地で、彼の目の前で、俺という存在を失くされるのは耐えられなかった。
そして、寝転がるしかできない今の俺が、単独で生き永らえる可能性など無に等しい。
…差し出されたその手に、俺は縋った。
最後の燃料を総動員して、彼の手を必死に掴んだ。
“従うべきこと”“従わなければならないこと”しかなかった俺は、あの場を飛び出したときから、自分で意思を表さなければならなかった。
――「そうじゃ…じゃから今はスリープしなさい。目覚めた時には、今までより遥かに自由に動けるようになる――」
彼の全ての言葉を解釈するまでは、エネルギーが持たなかった。
聴覚が遮断し、視覚が暗転し、全ての感覚が落ちる寸前―― 一瞬、触れた彼の手から……創造主のような温い熱を感じた、気がした。
この男は俺の精神回路も記憶チップも変えず、その上拡張までさせて俺を生かした。
言わずとも…その時の俺が望んでいた、その通りにしたのだ。しかし――
「…もういい」
少し、昔の事を考え過ぎた。…それより俺は、これからの事を考えるべきだ。
「行くのか、ブルース?動力炉が心配なら、ここに居ればよいじゃろうに」
「……」
「それと、こんなにも介抱してやったワシに協力してもよいじゃろうに」
手元に居ろという二つの発言。どうせ後者が彼の本音だろう。……俺にとっては、解決の術がないなら留まっても無意味だ。
台から降り、背を向けた事で俺の意思は伝わっただろう。
あとは傍に置いていたマフラーを巻いて、無用となったこの場から離れるだけだ。
ところが――黄色い布地を当然のように手に取った俺は、そこで止まってしまった。
「あの女…」
「ん?」
「何なんだ、あの…という人間」
部屋を出る寸前だというのに、あの少女の姿が想起され…一言呟いたら、自然と続きが口から出ていた。
「おお、か?可愛いじゃろ」
「そんな事ではない。何故いる?どうして俺に関わろうとする?俺は……」
冗談めかす博士の物言いを撥ねのけ、疑問が次々にあふれる。
「ブルース…それは本人に聞くんじゃな」
――ワシは何も言っとらんし、からもお前の話をされたことはないぞ。
挙げ句、質問攻めもいい加減にしたらどうじゃ、と突き返されてしまった。
「ここの主なら同居者の管理をしろ」
「じゃったら…ワシにお前の管理をさせい」
「住むと言った覚えはない、住んでもいない!」
俺にしては大きな声を出していた。…部屋の外まで響いていないか、気にかかる。
俺が話し終えたと見ると、博士は大げさに息を一つ吐いてイスに掛けた。
「ま、何故おるかは…ワシが連れて来たからじゃな」
「なら何故連れてきた」
「そりゃ、ワシ好みじゃったから?」
「……」
二度もはぐらかすな、この老骨が…!
…この男は俺を怒らせるのも呆れさせるのも得意らしい。
「今…思いっきり見下したじゃろ。瞳は見えずとも、どんな表情かわかるわい」
そう言って腕組みをした彼は、先とは異なる真面目な顔をした。
「が適格で必要じゃったから、連れて来たんじゃ。…例え可愛い“娘”であっても、自由時間にまでワシが口を出すものではない」
「俺はこんなところで慣れ合う気はない。に伝えろ」
「それくらい…自分で言えばよかろう。それにワシからに言ったら、ここに来ていたことも同時に伝わるが。よいのか?」
「……出しゃばらなくていい」
堪えもせずにガハハと笑われて、癇に障る。この男は気遣いなどしない類の人間だろう。少なくとも、俺には。
「ワシは、今日お前が来て、ここまで話せた事を嬉しく思うぞ?」
「……」
続けて発せられた台詞にも、俺は返答できなかった。
去らないと更に面倒になると思い、リノリウムからサッシの向こうへ跳んだ。天然芝と草むらを踏んで、誰も来ないであろうルートを選び建物を離れる。
――「黄色いものを身につけるとコミュニケーションがとりやすくなるというのは、当たっとるのう」
博士といい…といい、ここの人間は俺に干渉したがる。
去り際の、目じりに浮いた涙を拭う博士の姿を想起する。…恨めしかった。