俺がその日手に入れたのは、少しの過去と憂鬱だった。
追加プログラムはマスタープロテクトで、俺はそれを弄る事はもちろん、中を見る事すら出来ない。
当然、デフォルトの設定も分からない。…起動直後の弟の姿を見るに、相当だと推測できるが。
最後の洗濯物を干し終わり、俺は天を仰いだ。
気分は、今日の空と同じく……曇天だ。
「…あの、馬鹿が…面倒しやがるからだ…」
あの時――データチップを受け取った時点から、博士に“仕組まれていた”とはいえ……興味本位で聞いた末にこうなったのだ。俺も、大概馬鹿だ。
自棄になっても変わりはしないが…イライラする気持ちはどうにもできずに、俺は煙草に火をつけた。
「あーっ、フラッシュ、タバコ吸ったでしょ!」
重い気持ちのまま、すっかり軽くなったカゴを持って戻る途中、面倒な奴に出くわした。
このクラッシュが、自分の兄であるのを疑うほどの幼さをもつのは、より実践的な戦闘に容量を割いているせいだ。理解はしていても、俺と真逆に近い彼を見るにつけ劣等感と自尊心が心中で混ざり合う。
「おー」
「器官汚れるから博士がやめなって言ってたじゃんかっ」
器官、な。…気管じゃなくて。俺らはキカイだから、それで合っているわけだ。
「自分でメンテするから構わねぇよ」
「はーそうですか。弟クンは器用だもんね、うらやましーなー」
ドリルアームで、腕を組むような仕草をされる。感情が透けて見えても、嫌味がないのが羨ましい。
「棒読みで言うな。第一お前は煙草の匂いが嫌いなだけだろうが」
「そうだよ、それじゃ悪いの?同じケムリなら、火薬くさいのにしてよ!」
「ンな芸当できんのはヒートくらいだろうよ」
…爆発物を口に入れたら俺らでも大ダメージだろう、普通。
「とにかくータバコの煙は人にもよくないんだから!」
も博士もいるんだから気をつけてよ!と説教を垂れて、クラッシュは自室へと行ってしまった。
…この男は、どれだけ能天気なのか。
クラッシュは昨晩と一緒に過ごしても、変化はないのか。そして、俺のテンションをだだ無視……。
あいつが俺の兄だなんて、認めたくない。…ついでに、そのもう一個上の馬鹿については、認められない。
「フーラーッシュー、来たよー」
「おー、今行く」
こんな日にわざわざ勉強を教えろとか、この女は何を考えているのか。…何も考えていないんだろうが。
雑務…といっても今日は洗濯物を畳むことが終わった頃、が部屋にやってきた。勿論まだ日中だ。
「で、どれがわかんねェんだ?」
「その前におやつ持ってきたから一緒に食べようよ」
「ハァ?お前だけ食ってろ」
朝からのイライラのせいでつい刺々しい口調になってしまった。マズい。
「ドーナツ二人分なんて、夕飯食べられない。」
「んなの勝手だろうが」
流れから、ひねた言い方をしてしまう。…これじゃどっかの馬鹿と同じだ。
それでもが退かずに会話についてくるだけ、俺との関係のほうがマシなんだろう。
「手伝ってよ。フラッシュのために、おいしいコーヒー入れてきたから!」
「へェ…わざわざ?」
彼女が口にしたのは、俺の好みの淹れ方だった。…好物を用意してくるとは、やるな。
「ほら、教えてもらってる身だし。お駄賃代わりと言ってはなんだけどさ」
勉強のためだとはいえ、面倒が多いことをやってきてくれるのは素直に嬉しい。
「ほー殊勝な心がけだなァ。付き合ってやらないこともない」
「本当は好きだって言えばいいのに」
「!」
ビクリと跳ねるような、錯覚を起こした。
……これはコーヒーの話だ。は別に、俺の思うような意味で言ったわけではない。
「図星でしょ?ほら、冷めちゃうから飲んで飲んで」
「……」
背中からにじみ出た冷却液を掻き消したいと思いながら、俺はの勧めるデミタスカップに口をつけた。
いい、香りがした。
「フーラーッシュー、来たよー」
先ほどと同じ声が、外から聞こえる。
もう、夜だった。…時の流れってのは残酷だ。
「おー、今行く」
俺も同じ返事をした。
俺なら、この“時”を少しだけ操れるが、今使ったところで大差はないだろう。たった数十秒で俺の考えがまとまるとは思えない。
ドアを開けると、パジャマで枕を抱えたが入ってきた。…いい格好じゃねえか。
「はー、今日は疲れた」
開口一番がそれとは…色気の無い女。
「そりゃお前が簡単な問題につかまってるからだろ」
そういう無垢なところがまたイイんだけどな……などと考える俺の思考回路は、何とかならないのか。我ながら、酷い。
「そんじゃ、おねむなお子様はもう寝ろ」
「疲れたとは言ったけどおねむとは言ってない!くっ、弟のくせにっ」
彼女は俺が稼働するより先にこの研究所に来ていたので、たまにこうやって姉ぶる。機械と人間で兄弟ごっこなんて、馬鹿げているかもしれないが…彼女のそういう感覚は嫌いじゃなかった。
「出来のいい弟で悪うございますねー姉上?」
「ああ!なんなのフラッシュ、むっかつくー!」
…とまあ、こうやってからかう事も出来るわけだし。
こいつと悪態をつきあえるのは、俺くらいかもしれない。そう思うと、こういうのも悪くない関係だ。