博士の指令から一週間が経った。は今夜、俺のところに来ることになっている。
その指令の担当のあるなしに関わらず、日常の家事仕事にまつわる当番はまわってくる。いつも通り、俺は洗濯物を抱えて屋上に出た。
皺を伸ばし形を整え、順に干し並べていきながら…自然とのことを考える。
ずっと、したくとも出来なかった事の半分は、これから叶うかもしれない。そう思うと気分が高揚してくる。
だが、この感情は人工だ。…まったく、面倒なモノを博士は付けて下さった。
このままに接したら、俺はまだしも…それを受け止めるのことを考えると、どうすればベストなのか。
数日前に悩み通していたエアーと俺の悩む中身は、似て非なる。
俺は――俺を含む後発4体は、先発4体とは違う。…絶対的な違いが、あるのだ。
どれくらい前になるだろうか。
あれは、ウッドが完成する直前だった。
その頃から俺は、彼女に惚れ込んでいるという自覚があった。クラッシュやヒートみたいにわざわざ口にはしなかったが、創造主たる博士と同列並に、“女”として最上級だと思っていた。
あるとき、解析中のデータチップのうち一つが欠けていることに気づいた俺は、依頼された博士のいる部屋に訊ねにいった。
中途半端に開いていたドアから入ろうとして……話し声に俺は手を止めた。
――「起動も秒読みじゃな。感情系統も追加プログラムまで入れ終わったわ」
――「万全ですね。…去年みたいなことは、もうゴメンですよ」
――「ああいう事が起こると、何もかも差し支える。こればかりは事前にせんと、のぅ」
一年も前では、俺は図面上にしか存在していなかった頃だ。知らない昔の話を聞けるかもしれないと、興味が湧いた。
――「でも博士…あれ、ちょっとやりすぎじゃないですか?ヒートなんてベタベタしすぎて、たまにが困ってますよ」
博士と話していたのはバブルだった。その口からの名が出たので、俺は聴覚を集中させた。
――「フラッシュを見てみなさい、あれは大人しいぞ。ムッツリじゃけどな」
――「あ、確かに…っ」
バブルの笑い声が響いた。流れからして、その対象は俺だろう。イラッとしたが、耐えた。
ここで出たら、俺はバブルに突っかかる。話は途切れてしまうだろう。
感情系統に追加プログラムがあったとは初耳だった。バブルの言った、去年に何かあったのがきっかけとすると、ヒートと俺に入っていても全員ではなさそうだ。
自分の内部は把握しているつもりだったが、参照しようにもデータは見あたらない。
が絡む話で、感情系統に追加とは……。
――「まぁプログラムを入れても、現われ方はそれぞれじゃ。ワシは一切変えておらんぞ?」
――「じゃあ最初から強すぎたんですよ。よっぽどあのときビビったんですねぇ」
――「そりゃ、ビビったわい。ワシの息子が愛娘を殺しかけたようなもんじゃからな」
…息子が、娘を……彼に子供なんていない。俺たちやをそう例える事は、まれにあるが――
一年前に、兄機の誰かが、を殺しかけた…?
それで、以降に追加プログラムを入れて、…ヒートはにベタベタで、俺はムッツリだと(あくまで外野の見解だが)、そういうことか?
追加要素とは、彼女への“好意”で――俺にはへの好意が、製造段階から入っていたと?
「……」
…確かに、俺はヒューマノイドだ。人の手でつくり出されたロボットに違いない。
だが、“これ”は俺自身が構築したものだと思っていた。いや、こんな可能性を考えなかったというほうが正確か。
――「ま、僕もビビりましたよ。“兄さん”が出なきゃザックリだっただろうし…あの時ほど陸に弱い自分を呪ったことはな――」
無機物同士の衝撃音が、バブルの喋りを途切れさせた。
俺が、ドアを蹴った音だ。気分だけは妙に落ち着いていて、行動と噛み合わない。
「おい…クソ親父、どういうことだ?」
「フラッシュ…」
「何故、ここにおる」
バブルは、ばつが悪そうに俺を見てから、ど真ん中からひしゃげたドアに視線をやった。
後方の博士は、能面のようなツラだった。
「足りないデータチップを取りに来た。それより、説明しろ」
「…聞いておったか」
「あァ聞いた。正確には、聞こえたんだよ。…去年に何があった?追加プログラムとは?」
「…俺の、への感情も…全部アンタの“作りモン”だったのか?」
“元から…そういう設計だったのか?”
…自分で口に出したら――虚しさに襲われて、掻き消すようにいっそう人相の悪い顔で彼を睨みつけた。
「…バブル、己の仕事に戻りなさい」
彼に促されるとバブルは返事をしないまま腰を上げて歩き出し、去り際に振り返った。
「フラッシュ…博士を悪く思っちゃだめだよ。必要なことだったんだ」
「るっせえ!とっとと消えろッ」
「フラッシュ!バブルに当たるでない!」
余裕のない俺よりも激しい剣幕で一喝したのは…発端の創造主だった。
博士が声を荒げたのは先の一つだけで、それからは互いに、不気味なほど静かなやり取りをした。
一年前の出来事――事故と言っていたが、誰が起こしたかは彼の口から出なかった。ただ…時期と内容でおおよそ掴めた。
…俺らには“ロボット三原則”なんて入っていない。そこいらの使われているロボットと違って、人間を傷つけることが可能だ。
博士は創造主としてその枠から外れるように作っていても、他の“守るべき人間”を認知するには…追加プログラムを入れるか、稼働して外界に慣れていないと難しい。
そこで事故以降、博士は入力対象に好意を持つプログラムを、後発機に適用させた。
すなわち、その現場にいた兄機たちには入っていない。開発終了時点で、奴らが既に彼女に危害を加える可能性は無いと判断した、という。
「何で“保護”じゃなくて、“好意”なんだよ…」
いくら彼女を殺されかけたのがショックだったとしても、過剰としか思えなかった。
「……いずれ、意味が分かるじゃろう。今言えるのは、それだけじゃ」
勿体ぶった言い方に、その時は怒りが湧いたが――今になって疑問が解けた。……何て、男だろう。
「…結局は、ワシの我儘じゃな」
絞り出された一言の重さも、ここにきて、やっとわかった。
「それ言ったら…俺らを作ったのも全部そうだろうが」
「そう、じゃの…」
この男を見ていると、人間ってものの罪深さを厭というほど感じる。…そんなクソ親父の手から生まれた俺らも、同じ穴のムジナなんだろう。
知らないままでいたら俺の思考回路は花畑になっていたと思う。一つ上の陽気なアホや、一つ下のワガママなガキのように。
……いっそ、その方が楽でいられた。
気持ちの根底にプログラムの働きがあることを、博士は否定しなかった。
「じゃが、フラッシュ。お前の自我は、すでにワシの手から離れとる。持って生まれた想いをどうするかも、お前にしか決められんことじゃ」
お前はワシの最高傑作なんじゃ、覚えておいてほしい。
そう、博士は言葉を結んだ。