02. #2



自室での一服は、心安らぐひと時だ。
こんななりをした俺でも実は経口摂取が可能で、兄弟共々に人間の飲食物の嗜好がある。
ミルクを沸かしていれた、熱々のホットココアを中央のファンでゆるりと適温に冷まして、ずず…とすすると、ほっと息が漏れる。
じわじわと体内が温まるのを感じると、何となく重たい気分が晴れていくような気がする。
「…ふう」
そうだ。きっとにとって悪くはならない。…気がする。大丈夫、だろう。
憶測に希望を求めるとは…やはり今日の俺はどうかしている。だが、それでもいいか、と思った。


ノックの音。
音の感じからして、だ。…ちょっと待て、早すぎやしないか!?
「エアー兄さーん、来たよー」
「あ、ああ今開ける!」
慌ててドアまで駆け寄ると、パジャマと枕を持ったがいた。風呂にも入ってきたようで、石鹸の香りがセンサーをくすぐった。
時刻を確認すると、確かにの標準就寝時間に近かった。今日の俺は体内時計も狂っているようだ。
「おじゃましまーす、と…あーやっぱり」
が部屋に入って、まず目を留めたのは置かれたばかりの大きなダブルベッドだった。長兄の部屋でも同じものを見たらしく、博士の予算を心配していた。
「でもファブリックカラーは違うんだね。やっぱり兄さんは青と黄色だよね」
幾何学模様のベッドカバーを見てそんな感想を漏らす。俺にはない感性だ(もしかしたら「俺たち」かもしれない)。
「でも、おまえが来る時しか使わないぞ」
そう返すと、もったいない!と抗議を受けたが、俺単体で使用する利点が思い浮かばない。適当に座っていてもシステムのデフラグはできるのだ。
「なんか…贅沢者だよね、わたし」
「まあ…おまえは特別だ。博士にとっても、俺たちにとってもな」
「と…特別、か。」
それだけ言うと、何か考えるようには黙ってしまった。
「どうした?」
「いや…その。わたし、幸せ者だなぁって」
少し頬を朱に染めて、下向き加減に話すさまを見て、俺はすでに長兄が蒔いた種に水を与えてしまったと直感した。おそらくこのくだりで、昨晩何かしらに至ったのだ。
これを見るに、俺の周りはすでに地雷だらけであると予想される。…前途多難だ。
「その、い、椅子にでも座ったらどうだ。少し話でもするか!?」
「ん?いいけど…」
強引に話を切って、ソファチェアへ促す。ホットココアを作ってやる、と告げ急いでミルクを温めた。


やはりホットココアの効果は素晴らしい。飲みきる頃には互いにリラックスしていた(については、終始いつもどおりだったかもしれない)。
ふと、があくびをしたのが見えた。そろそろ床につかねばなるまい。
「ちょっと夜更かししちゃったかな」
「ああ…すまない」
悪いことをしてしまった。人間の女子は睡眠時間の減少による肌の疲労に敏感だということを、すっかり失念していた。
「あ、そういうことじゃないの。こうやって二人でお話しすることって、あまりなかったでしょ?だから楽しくて…知らないうちに時間経っちゃったんだなぁって」
言われてみれば、確かにそうだった。俺は自ら話題を振るほうではない。これほどよく話したのも、もしかしたら初めてかもしれない。
「…おまえは、特別なんだ」
そう、呟いていた。無意識だった。
博士でも兄弟機でもない、異質の存在がこんなにも俺を…俺たちを揺さぶる。いや、博士でも兄弟機でもないからこそ、できるのだ。
「ん?」
「なんでもない。さ、お開きにするか」
特別、という言葉の奥に潜む真意をが汲み取ってしまったら、俺は敗けだ。
俺がを守るための真の脅威は、「自身」だろう。


俺も一緒にベッドで寝るべきなのか、と念の為聞いたが、当然といった口調で返されてしまった。そのうえ、
「せっかく一緒にいるのに別々だなんて、そんなの…さみしいよ」
と切なそうな顔をされてはどうしようもなかった。結局俺は“至上主義”なのだ。
「エアー兄さん、なんで来ないの」
訊ねたの声は近かった。
「待て、おまえがいるのにそのまま寝られるわけないだろう」
ちょっと待ってろ、と応えつつ作業を続ける。ベッドで待っているはずのは、どうやら俺のいる目隠しのパネルの前まで来ているようだ。
「え?どゆこと?」
「硬いだろうが」
俺の体型上、多少時間がかかるのは仕方がないことなので、なんとか話しながら間をつなぐ。
「ベッドで寝ないの?」
「違う。そうじゃなくて――」
話がかみ合っていないのを指摘しようとした矢先、がパネルを開いてしまった。
「兄さん――え、兄さん?!」
「こら、覗くもんじゃない」
は目を丸くしている。これが人間同士であったならば、破廉恥極まりない行動だ。あとで指導しなくては。

「いや…そうじゃなくて…えええ!」
大声に、今度はこちらが驚く。立場が逆ならまだしも、そんな声を出す場面だろうか?
そうか、俺の見た目が長兄らと多少異なるからなのか。
「その、装甲って…外れるものだったの!?」
「は?長兄のところでもそうだったろう?」
それにしては反応が大きすぎる気もするが――
「いやいやいや」
「…まさか」
あまりの否定っぷりに、俺の思考回路に、悪い予測が立つ。
「いやいやいやいや」
悪い予測の真偽を、問う。
「初見、か?」
「うん。」
簡潔な回答だった。
「……なん、だと」

「なんだとおおおおおおおお!!!」
盛大に叫ぶのを止められなかった。
――やってしまった。やらかしてしまった。
俺は……俺自ら、段階をひとつ越えてしまった…!
「へえーへえー。兄さん、こっちのほうが全然カッコいいよ!」
…言葉遣いがなってな」
「えー兄さんいつもこっちでいればいいのに!」
こんな時まで細かく注意してしまう己の精神プログラムに腹が立つ。
で、俺の見てくれなどどうでもいい。
それよりも…長兄は昨晩何をしていたのだ!?
この状況からして、長兄は「そのまま」と床についたというのか…!あの長兄が?それは――あり得ないだろう、二つの意味で!(意味は俺の口からは言えない、言ってはならない…!)
仮にそうだとしても、さっきの反応だとか不安な素振りがまったくないことだとかは、絶対に「昨日の」長兄の影響だ。ならば、どうやって――
「わー髪の毛もちゃんとあるんだね。あれ、ちょっと猫っ毛?」
考える間もなく第二波が来た。…悪い予測、その2だ。
。長兄は…メットも外さなかった、のか?」
「うーん、私が寝てる時は外していたのかなぁ?いや、それよりも〜」
追い打ちをかける事実に、自然と両手が頭を抱える。
どういうことだ…状況の整理と今後の対策のための時間がほしい…!

「ねえ、ねえ兄さん!」
装甲を外した上半身をが揺さぶる。目が輝いている。
それはとてもきれいで、眩しい瞳だった。
…だめだ、無理だ。…今はこの子の好奇の目から逃れられそうにない。俺をそう悟らせるには十分な眼差しだった。
「…はぁ…何だ、よ」
己の愚行に溜め息が出た。
硬い装甲が当たるのは嫌だろうと、良かれと思ってしたことだったのに…完全に墓穴を掘った。
俺はこれから降り注ぐであろう質問の嵐を覚悟した。


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