02.憂鬱 #1



はぁ。
朝食をこしらえながら、溜め息をつく。
憂鬱だ。非常に憂鬱だ。
大切に育ててきたは、もう清らかな道を歩くことはできないのか……。
はぁ。
もう何度目の溜め息か。
しかも、俺たちの手で…、この、俺の手でも、を穢すことになろうとは。

キッチンタイマーが鳴り続けているのにも、俺は気付かなかった。


今日の朝食は目玉焼きが焦げくさいと不評だった。
ヒートに「今日は大雪だね、ボク外歩けないや!」と冷やかされたが、自身でもここまで衝撃を受けるのかと戸惑っている。
朝っぱらからこんな初歩的な失態を冒すなぞ、製造(つく)られて以来あっただろうか。

というのも、はここに住まうもの全てにとって唯一無二の存在だからだ。俺にとっても勿論、例に漏れない。
初めてを目にしたとき、それは驚いたものだった。みすぼらしい格好のその少女は、僅かな生活技能しか知らず、名も出自も知識もまるでなかった。その身なりとは対照的な、赤子の如き穢れない瞳で俺を見つめたことを、今でも強烈に覚えている。
その時俺は、この少女を見守り清く育てなければなるまいと、強く思ったのだ。
この研究所に引き取られたのにもかかわらず、「清く育てる」などと公言すれば、すぐさま一笑に付されるかもしれない。しかし逆説的に考えるならば、この場以上にそうできる環境はないはずだ。この中できちんと管理ができれば、意外にも容易に成せる…といえるだろう。
一昨日までは、その通りの状態だった。2年の間、に多少の制約は与えども、順調に、純粋に成長した。博士も、俺たちもよく面倒を見ていた。関係は良好だった。
だからこそ計画を実行したのだろう。終止符は急に打たれるもの、というのは真理だ。

博士の野望も行いも、この世界の観念でいえば「悪」だ。その博士から作り出された俺たちもまた「悪」になるだろう。だが、機械にすぎない俺たちに博士は「個性」と「成長する思考回路」を与えた。長兄が「自立性」と「責任感」だとするならば、俺には「勤勉」と「道徳観」を付与したのだった。
自分の考えと相容れない要素をあえて純製造2体目の俺に組み込むところからして、博士には嗜虐傾向が伺えるが――それについて今は言及しないことにする。
この経緯から、俺は作られて以来、常にマスターである博士の指令と自身の思考ルーチンのかい離に悩むこととなる。博士の意思に限りなく近い長兄と衝突したことは数知れず、そのおかげでバブルがああいう性格になったというオマケまである。
とはいえ、結局は創造主の意に逆らうことはできないわけで、俺はなんとか理屈を捏ねて正論化させるのだが、そうすることで「悪」が一律のものでないと証明されてしまう。論も強固なものとなる。
因果なものだ。
この論理に従うと、俺はいつか、にこれから起こるであろう出来事についても、正当化することになるのだ。

「はあ…」
溜め息がまた出てしまう。
「どうしたものか…」
「いや、別に何もしなくてもいいわけでしょ」
声をした方向をみると、フラッシュがいた。うんうん唸っているのを聞かれていたようだ。
まだこいつでよかった、と思う。先のヒートだったとしたら何を言われるやら、たまったものではない。
「そんなに青い顔しなくてもさあ、…いつも青いけど。まあ頑張れよ」
それだけ言うと、エールのつもりか肩を二度たたいて去って行った。性格は捻くれているが気を回すのもうまい。奴らしい。
…だが。
「フラッシュ…甘いぞ」
貴様は長兄を甘く見すぎている。
長兄に抜かりはない。に関してのことなら尚更に。確実にに、行為に結びつくまでの種を植えてきているはずだ。
何もないならもちろん何もしないに決まっている。だが…そうでない場合は――。
俺は、迷っている。
がもし、何かしらを求めてきたならば、俺の根底にある想いとともに流されてしまってよいのだろうか…。

根底にある想い。これが厄介なのだ。
を大切に思う反面、人間でいう「本能的な衝動」がそれを妨げようとする。生殖機能があることも相まって、本当に(ロボットらしからぬ)生々しい感情が俺たちに渦巻いていることは否定できない。DWN中で最も倫理感の強いであろう俺でも、である。
俺はもっと機械でありたかった、などと博士には言えないが――。今でものためを思うと、遅くないのではと思っていることもまた事実で、考えが幾度となく堂々巡りして抜けられないでいる。


今日は一日、上の空だった。
仕事上のミスは朝の一件くらいだったが、大きな任務が入っていたらどうなっていたかわからない。夕食も当番でなくて助かった。
がどうしていたのかを気にする余裕もなく、探りを入れることもなく時間は過ぎていった。…後々思えばこれも大いなる失態なのだが。
「なんか、エアー兄さんらしくないよ?今日」
「うおっ!」
突然のに話しかけられて、大きい声を出してしまった。申し訳ない。
「ぅお、って…そんなに驚かなくてもいいじゃない」
「…失敬。俺に用か?」
「やっぱり聞いてなかった!何時頃に部屋に行けばいいのって、言ったの!」
なんだ。そんなことか…。
「あぁ…好きにしなさい」
「スキニシナサイ?な…なにそれ」
ほんっとにおかしいって兄さん!という声があった気もするが、俺は気に掛けず自室に行くことにした。
「…重症だね、エアー」
「ああ。重症だな」
弟たちがそんな会話をしていたことも、知らずに。


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