キーを差してONにする。スイッチを入れ、後方に座ったに声をかけた。
「オイ、しっかりつかまれよ」
「あ、うん…」
彼女はオレの腰元をつまんだ。……ちょん、と。
「そんなんじゃ振り落とされんぞ」
「や…その――」
困ったように口ごもられても、キッチリやらないと命にかかわる。乗り方を知らないにしても…これはない。
だが今日のオレは待てる男だ。待てる、待てる…と念じてやり直しを待った。
…確かにオレは待った。が、変わらなかった。
「だあもう!もっとくっつけっての!」
しびれを切らしたオレは、勢いのままにの手をつかんだ。
「いいかっ、手はオレのここ!ヒザはここらへんをギュッと!傷つけたくねーから言ってんだ、オレに守らせろッ」
振り向いて、手を自分のウエストまで持ってきて、ヒザは腰をしめるようにうながした。…1分も待ったのだ、限界だった。
まくし立てると、は何か言おうとしていたが…結局出てこなかった。
やっと、は自分から腕をまわした。
ただコイツを乗っけるまでがこんなに大変とは……。でも手を放されたらシャレにならないので、今はやり過ぎるくらいがちょうどいいだろう。
「うっし!こんくらいキツくないとな。おまえ初めてだし」
「く、クイック…っ!」
エンジンを掛けてふかしたら、がビクッとはねた。あんなに言ってもやらなかったのがウソみたいに、ピッタリくっつかれる。
こんなことなら先にこうすれば――いや、いくらなんでも危険か。
単車が駆動した時の感じは、毎回のことだが…すごく心地いい。
センサに伝わる、その音、匂い、振動。これからどう動かしていこうか、ワクワクしてたまらない。
「ハハ、やっぱいいな。じゃ、いくぜっ」
「うぁっ!動いたあぁ…」
当然のことに、ここまでビビられると……。加減はしておこう。
今日はシングルじゃなく、とのタンデムなのだ。
敷地内を走りながら基本を教えてやって、街への舗装路に出た。景色が変わるだけで開けた感じがする。オレも、これでやっと楽しめる。
「うぅ…」
はまだビクビクしていた。そんなにオレに乗せられるのが怖いのか。
「最初だし、飛ばさないでやるから。深呼吸でもして力抜けって」
「さっきより全然速いじゃない…!」
「だって、さっきのなんて、オレが走ったほうが速いんだぜ?」
「ばっ…理由になってないっ!」
ヘルメットで背中を押された。被っていなかったら、額をぐりぐりと押し付けているような感触だ。
ここまで大声で叫べるなら、もう大丈夫だろう。こっからが本番だ。
「っしゃ、いいとこ連れてってやるよ!はい次ィ右カーブぅ」
「なっ、ひゃっ――!」
よくわからない声はともかく、体の方はオレに反応して重心を移動させている。初めてにしちゃ、オレとは息が合っていると思った。
「慣れたか?」
「…少し、ね」
しばらく走らせたら、インカム越しのの声はいくらか落ち着いたものになった。それでもまだ怖いのか、ヘルメットは背から離れようとしない。
「したら…」
だが、こっちもちょうどいいところに来た。
「そろそろ、背中にデコつけてねーでさ。景色でも見てろよ」
「景色――」
言うと、は顔を上げた。そして届いたのは――小さな、歓声。
「街に出るまでなら、ここが一番走ってて気分いいんだ」
ここは緩やかな下り坂だった。すぐ横に目をやれば街を見下ろせる、オレの大好きな道。
街までの最短ルートではないが、今日みたいに走るなら、きっといいだろうと思って彼女を連れてきた。
天気も味方してくれた。澄んだ空の下、切っていく風は一段と気持ちよく感じる。
「……オレが、わざわざ遠回りしてやってんだ。意味、わかれよ」
なのに…ここまで来ても、オレは“ごめん”が言えなかった。
なんのために、ここまで行動したんだか。またの機嫌を損ねても仕方ない。
「……ありがと」
「えっ」
「…何度も言わない。」
……最初の呟きは、確かに聞こえた。
後ろにアイカメラは付いてないから、がどんな顔をしているかはわからなかったが。
許して、くれたのか…?
「…景色見ろっつっただろ、こっちにひっつくなよ」
「いいの。これで。」
「はぁ?」
しかもベッタリ抱きつかれた。これじゃ、せっかく見せようと思った景色が――新手の嫌いアピールか?
「街までゆっくり走ってね?」
「あ?もっと?なんでだよ」
「何でも!」
一瞬イヤな勘ぐりをしたが、違ったようだ。
の漏れた息がかすかに背にあたる。どこに笑う要素があったのか、オレには見当がつかなかった。
「もう買い物とかさ、そういうのしなくってもいいんじゃない?」
「……意味わかんねー」
わからないことだらけだが――まあ、機嫌が直ったのはよかった。ピリピリされているより何百倍もいい。オレもつられて、いい気分になれる。
のリクエストを聞いて、さらに速度を落としてやった。オレにとっては見慣れたはずの景色も、こうじっくり見ると新鮮だ。
「なら……今度は何もなくても、こうやって走りに来てやるよ」
「…怪我しないように、守ってくれる?」
「決まってんだろ」
そんな質問、即答だ。
外もバイクも知らないを、オレが守らないで誰が守る?
……いや、これだけじゃない。オレはずっとそうだ。
“できるだけ早く危険を排除し、コイツとジジイに好き勝手させてやる”――それがオレの仕事だ。
「は…オレが、何からだって守ってやる。」
ライダースーツ越しに伝わる確かな感触と体温に、胸の奥が暖かくなる。
自分に言ったつもりがにも聞こえたようで…返事の代わりか、一瞬きつく抱きしめられた。
オレは正義の味方じゃなくて、本当によかった。
保護対象は最低限のほうが効率的だし、敵をどんなエグいやり方で潰したって非難されない。
そして……最も守りたいものが守れればそれでいい、そう思っていた。
でも今回で少し、わかったことがある。
…オレがにしてやれるのは、“守るために強くある”だけではない…らしい。