じゅうたんに腰をおろし、ソファに不自然な姿勢でもたれかかっている影がひとつ。
わたしが近寄っても、振り返る素振りは全くない。
「…クイック?」
ソファには片腕を枕にするように頭を乗せ、真っすぐ寄りかかればいいのにわざわざ横にひねっている。足も片方は伸ばし、もう片方はあぐらをかきかけたような変なかたち。…何をしたいのかわからない、そんな体勢で止まっている。
わたし一人がこの状態に出会うのは二回目だった。でも、もう何度も見たことがある。
だから知っている。ほんと……溜め息が出る。
……ああ、またこんなところでスリープして…。
クイックはたまに、こうやってエネルギーを切らして倒れていることがある。
戦闘以外――特にこの“実家”では気が抜けるのだろう、とエアー兄さんが以前に言っていたけれど…毎回毎回、信じられないくらい鈍感だと思う。
これも兄さんに教えてもらったことだけど、クイックを含めみんなはエネルギーが少なくなると警告が出て、E缶などからエネルギー源の補充をしろって言われるらしい。
でもクイックはなぜかそれに気付かないで、そのまま限界まで普通に動いて、倒れる。
限界といってもエネルギーは全くのゼロじゃなくて、表向きではスリープしているその中でも、エネルギー源の確保に動くための緊急プログラムを立ち上げているのだという。
そしてボディに散らばっているエネルギーをかき集めて、しばらくすれば目が覚める。
だけどこれを発動させたことがあるのは、クイックしかいない。
…本当に緊急手段なのだ。それを、クイックは一番安全で自由なここでやらかす。
それでこの前もフラッシュに「兄でも何でもねェ、こいつはただの大馬鹿だ」と言われて怒っていたけど、わたしはフォローする言葉が見つからなかった。
初めて見たときはわたし一人しかいなくて、ピクリとも動かない彼を目の当たりにして大パニックだった。
…それもこのリビングだった。何度呼びかけても、揺すっても全然反応しない。
スリープ中でも背中を中心に放熱はされる…なんて、当時はそんなことを知らなかった。
仰向けに横たわっていたことも手伝って、クイックが死んだ、壊れてしまったと思い血の気が引いた感覚を今でも覚えている。
それでもぼろぼろ泣きじゃくりながら研究所内を走り回って、お兄ちゃんと博士を呼んだ。わたしの顔を見て、ただ事ではないと思ってくれた二人と一緒に戻ってきてみれば、彼はうつろな目をしてバナナをむさぼり食べていた。
――「おいオマエ、E缶ねぇか?」
かったるそうな声でそうクイックが喋ったとき、わたしは気が抜けてその場にへたりこんでしまった。
お兄ちゃんは「こんなことだろうと思った」と溜め息を吐きながらわたしの頭をぽんぽんと撫で、博士は戸棚の奥にあったE缶をクイックに投げつけた。
間もなく彼はエネルギー補給中のまま博士に引きずられて部屋から出て行った。それから研究室でこっぴどく叱られたらしいけど、クイックの言ったことだからあまり当てにしていない。
「はぁ…。E缶、まだここにあったかな」
さすがに対処法はもう知っている。戸棚を探してE缶を引っ張り出し、クイックのいるソファのロウテーブルに置いた。…あとは目覚めるのを待つだけだ。
別にわたしがいなくても、クイックは勝手にE缶を開けて復活するだろう。だけど、毎回人を驚かせるくせに何の言葉もないクイックに、文句の一つも言いたくなった。
「……」
いつ起きるかわからないから、彼と同じようにじゅうたんの上に座って、ソファに背中を預けた。
隣に倒れるクイックを見る。…本当におかしな格好だ。
「…こんななのに、仕事ではみんなの中で一番だなんて、信じられない」
その姿を見せてもらえないわたしには、想像できない。
負けず嫌いのヒートちゃんや…あのお兄ちゃんでさえ、戦闘能力にだけは一目置いている。
バブル兄が「クイックはいちばんイイトコ見せらんないから、損だね」って言うくらいだ。クイックじゃなくて、わたしが損している気分になる。
わたしのひとり言に、もちろんクイックからの返事はなかった。…起きていたら、即ケンカになるような言葉だ。
「いつもこれくらい静かだったら、言い合うこともないのに…」
膝を寄せて、顔を乗っけた。体育座りって格好だ。
…クイックくらいだ。ちょっとしたことなのに突っかかられて、つい言い返して、言い返されて…それの繰り返し。
他のみんなとは、ケンカなんてしない。せいぜいフラッシュと言い合いそうになるくらいで、それもするりと怒りが抜け落ちてすぐ終わる。
……なんなんだろう、この差は。
「誰のせいなの、クイック……」
彼の顔を見て呟いた。
瞳を閉じ、無表情な顔。…とても、きれいな顔。
たぶん、博士は造形美術家になっても超一流だ。
…わたしも、これくらいキレイになれたらいいのに。
たくさん戦ってきているはずなのに、いつも顔だけは傷一つなく帰ってきて。一度、どういう原理なのか問いつめてみたい。
自慢げに掲げるメットの黄色い飾りは、今日も彼の額の上で輝いている。それが、ひどく似合っていた。
なんだか、うらやましいことばかりだ。……だから、いろいろ言いたくなるのかもしれない。
わたしはじっと、顔を近づけて見つめた。
まつげがきれいに揃っている。彼が人であっても、誰もおかしいとは思わないだろう。
…わたしは別にどっちでもいい。――クイックが、クイックなら。
ふと、彼のいびつな手の位置を直したくなって、目をそちらへやろうとしたときだった。
一瞬眉間にシワを寄せて、ゆっくりとその瞳は開いた。
「ハッ!」
「ぇ?」
いきなり喋られて、わたしは小さく変な声を上げてしまった。
それを恥ずかしいと思う間もなく、最大の災難は起こった。
「ぶっ」
「!?」
――だって、クイックがいきなり起き上がるのがいけないんだ。
これはクイックのせいだ。
だって横を向いていた顔が、すぐに正面を向くなんておかしい。
クイックといると、普通ないようなことが起こるから。だから…。
だって、それで、……唇が触れちゃうとか、こんなの、ない――!
「…?なんで…こんなトコにいんだ?」
身体を起こしたクイックはぼんやりしていたけど、わたしはその真逆だ。心臓がばくばくいって、頭の中はぐるんぐるんしている。
「い、いま…キス、した」
「…あ?…オレじゃねー…」
まぶたが半分下がったままだ。反応もいつもより鈍いのは、やっぱり緊急プログラムのせいなんだろう。
「でもぶつかってきたのは、クイックで――」
「起きようとしたトコにオマエがいたからだろ。つか、メシ…E缶…」
最後まで喋らせないで、言い返すのは相変わらずだった。でもそう言うことすら億劫そうに、クイックはエネルギー源を探そうとしている。
でも…いくらなんでも、そんな反応はあんまりだ。
だって、キスって、キスって……もっとこう、大切なものじゃないの?
ハプニングだとしても、それについてクイックから一言あっていいと思う。…と、いうか、言ってほしい。
なのに、クイックときたら――ごっしごしと口を拭いながら、視線をさまよわせていた。
…無意識の動作には本音が出るって、何かで読んだことがある。じゃあ、これ……絶対嫌ってるよね?
「ちょっ、何か言うことないのっ?!」
「…はぁ?別に、ねーだろうが。それよりメシ…あった!やりぃッ」
瞳にはE缶しか映ってない。…いちばん近くにいるのはわたしだっていうのに。
ああ!何でクイックはそうなの!?
「ってか、オマエそこどけよ。すげージャマ」
「……」
これでカチンとこない人がいたら、神か仏だと思う。…もしかしたらウッドだけは、やさしく注意してくれるかもしれない。
元から文句は言うつもりだった。…でも、やっぱりこうなっちゃうんだ。
わたしは息を吐いた。そして、思いっきり吸い込んだ。
「クイックの――」
「あ?」
「ばかぁ!!」
頬に一発。痺れる、わたしの手のひら。…痛い。すごく、痛かった。
キッと彼の顔を見ると――クイックでも、紅葉模様はついていた。
「倒れてたの見つけて、E缶持ってきたのはわたしなんだから!いつも倒れてると、すっごい心配になるんだから!なのにクイックは、クイックは…っ」
いつもそうだ。不機嫌に起き上がって、何事もなかったかのようにエネルギーを補給して元に戻るだけ。
…ほっぺたに手を当てて、ぽかんとした顔しないでよ。口まで開けて、カッコ悪く見えるでしょ。
「そんななのに…いちばんカッコいいとこが見られなくてうらやましがったり、顔にいつも見とれちゃったりして、そんな…そんな…」
そうだ――そんなにもクイックに揺さぶられているのは、ほかの誰でもない。
「わたしがいちばんバカみたいじゃない!!」
クイックはまだE缶を手に持ったままだった。言い返すエネルギーはもうないのかもしれない。…でもそんなことは関係ない。
わたしだって、言いだしたら止まらないこともある。自分でも、どうしようもなかった。
「もう知らない!夜も行かない!今日夜ご飯食べないってお兄――メタル兄に言っといて!!」
モノに当たるなんていけないことだけど、わたしはドアを乱暴に閉めて自分の部屋に走った。
こんな顔…真っ赤で涙目で、誰にも見せたくなかった。