「あ。マグ兄のほっぺに、お菓子くっついてるよ」
互いに菓子を平らげて、コーヒーポットからおかわりを淹れていると、から指摘を受けた。
「まあ、いつかは落ちるだろう」
バウムクーヘンの欠片には磁力は無いので大丈夫だ。
「でも…おべんとうが付いたままは…」
「…や、冗談。どこかな」
困り顔をされてはわたしも堪らない。片手で口元に触れた。
「上にいきすぎー、もっと右」
「こっちか」
「違う…ってそっか、わたしから向かって右だからえーと」
一体どこにあるのか。ぺたぺたと触っても、当たりの感触が無い。
近くを見まわしたが、鏡やそれに準ずるものは無さそうだ。鏡のようなわたしの弟も、当然見当たらなかった。
…彼のあの性格はこういうときに重宝するのか。今度会った折には、ボディをもっと曇りなく磨くことを勧めていいかもしれない。
……ではなくて。なぜこんなに思考が飛躍したのだろう。
「もう…が取ってくれ」
そのほうが早いと思ったわたしは、の手を取って自分の頬に持ってきた。
「……!」
「ほら」
ぐっと顔を寄せて言葉を吐いたら、彼女は動揺した様子だった。…わたしは、まだ彼女の手首を掴んだままだ。
至近距離のまま、彼女はしばし目を泳がせたのちに、何か観念したかのように自らわたしの頬へ手を伸ばした。
「…えと、ここにくっついてたの」
摘み取ったバウムクーヘンの欠片をわたしに見せる。
――わたしは、その指ごと菓子を口に入れた。
「っ!!」
何を食べていると聞かれれば、の指だと答えなければいけないだろう。…欠片なんて、飾りだ。
ものを口に含むと、その中は自然と湿り気を帯びる。その液体は、人間ならば唾液だが、わたしの場合は何と呼べばいいのか。
不要なはずの呼吸をしながらその指をしゃぶると、その度に音が出た。
「…マグ、にぃ…っ」
途切れながらの声は、張り詰めたピアノ線を弾くような響きだった。
わたしの口から溢れた液体は、だらだらと彼女の指から手首へと伝う。
「ああ、甘い。」
指から感じるのは、もはやバウムクーヘンの味ではなく。
「甘い、甘い…」
の味が、わたしには…どうしようもなく甘かった。
ソファの手前に座っていたの身体は、次第に背を預けるように傾いていった。わたしはそれを追うように身を寄せる。
困っているのか、…感じているのか、複雑な顔つきの彼女は…以前にここへ来た時とは少し違う。
「…また、綺麗になったな」
「え…?」
ふやけきった指を開放して、今度はわたしが彼女の頬に触れた。
撫でると、目を細めてわたしに委ねていた。…見たことのない、その仕草。
「会う度に変わるあなたを見ると、わたしは…少し寂しくなるんだ」
ずっと外見(そとみ)が変わらないわたしとの、決して無くなることのない隔たりを感じてしまうのだ。
そして…彼女の成長をいつでも間近で見られる兄上殿を、羨ましく思うのだ。
「マグ兄――?」
沈黙したわたしの姿が、の瞳に映っていた。
「…こんなところで、あなたを乱しはしない」
――口付けは、触れるだけ。それだけでよかった。
身を起こしたわたしは、空になった二つの皿を持って、キッチンのシンクへ向かった。
「」
ぼうっとしたままの彼女へ、わたしは去り際に一言置いていくことにした。
「……手遅れだったら、わたしの部屋へおいで」
マスクは置いたままにして、わたしは居間から離れた。
これから、わたしが部屋を片付ける時間は…おそらく無いと思う。