'10 Vt.-Day dream #3-Sh

+--忍(しのび)・忍んで・忍ぶれど。--+

「とにかく14日に、一旦帰ってきなさい」と通信で博士に言われたのは数日前のことだった。
命に従い、研究所に戻って一先ず博士の部屋を訪れた。彼からはの許に行くようにということと、幾つかの注意点を授かった。その意味は…まだわからない。


そろり、と忍び足で居間の床を踏む。
はその中央に鎮座し、若い女子向けの雑誌に夢中になっていた。
再び、そろりと近づいて視覚センサに集中すると、彼女は服の頁をそぞろにめくり、単色の文字ばかりが並ぶ頁を読んでいた。
『今年は脱・待つだけの女!大和撫子に見習え、意中の彼にチョコを渡す“ニホン式バレンタイン”とは――』
いったい…何のことだろうか。
が座るソファと向かい合わせの大きなスピーカーからは、小洒落た音楽が流れていた。彼女は伽羅(きゃら)色の紅茶を片手に、時たまそれを啜っている。

『今まで自分からアプローチする勇気が出なかった人も、チョコレートを渡すという行為があることで、単純な告白よりもハードルが低くなるでしょう。メッセージカードを添えれば、言うのが恥ずかしい…なんてアナタでも、相手に気持ちが伝わるはず!』
…隣の包みは、それか?
私は疑問を持ちつつも、さらに彼女の横から後ろへと、静かに動いた。
ソファに置かれた袋の中には綺麗な包装の箱があった。先の文脈からして、彼女もそういうつもりだということだろう。
これは……博士は私に運び屋でもさせるつもりで呼んだのか。わざわざここまで来させて、密かな想い人と他人との縁結びをさせるとは…。

「……よし。復習おっけい」
彼女は一人で呟くと、雑誌を閉じて紅茶を口に含んだ。
「熱心だな、
つい私は、自然に声を掛けていた。
「んぐっ!?…ぐ、ゲッホゴホ、っうぇ…」
どうも時機を間違えたらしい。は盛大にむせた。生姜と牛乳の香りが広がる。
「…シ、シャドーさ、ん?!」
振り返った彼女は、少し涙目だった。

「え…え…っ、来てたの?!」
口を両手で覆ったまま、はバネが撥ねたようにソファから立ち上がって、数歩後ずさった。静かに待っていて、大成功だ。
「うむ」
だが周りに零した液体を拭うのを忘れている。仕方がないので、私は布巾を取ってソファを拭いた。
「…い、いつから?」
「先程だ。博士にはもう会ってきた」
ソファは皮張りだったのが救いだが…彼女の服には染みが出来るだろう。
「あの…ここへは?」
「貴女が雑誌の文章を読み始めたあたりから」
私の言葉を聞くや、彼女は両手を膝に付いて肩を落とした。
「気づくまで見ていれば、驚くのではないかと楽しみにしていた」
「相変わらず、シャドーさんてシュミ悪い…」
こればかりはの願いでも聞き入れ難い。誰しも素に戻ってしまう、あの瞬間を見るのが最高に面白いのだから。


「…で。用事があると博士から伺ったが」
ソファに腰掛けなおしたの隣に付いて、本題を訊ねた。
…私は彼女の願いを聞き入れるために、此処に居る。
そもそも、博士の命を受けるようになったのも……いや、これ以上は言うまい。
「それなんだけど…、あの、その…」
彼女は中々切り出そうとしなかった。色恋の相談に照れるのか。私は忍んでに協力しようというのに…。
「しっかりしろ。そんなことでは、意中の彼を射止めることなど出来ないぞ」
私の発言を聞くや、はピシリと固まった。
「シャドーさん…さっきの雑誌、バッチリ読んじゃったんだ」
ゼンマイで動いているかのように、彼女は歪(いびつ)に私のほうへと首を向かせ、小さく言葉を吐いた。
「うむ。貴女が気づかないので、じっくり読んでいた」
「あー…なんてやりづらい…」
困ったような声。まあ、手の内が知れているのにしなければならない、というのは得てして嫌なものだが。…彼女の為だ、勇気を出して言ってもらわねばならない。


「親愛なるシャドーさん。」
…ん?
の台詞は、私の想定していたものとは異なった。
そして――手元の袋から包みを、私に差し出した。
「これは、あなたの為に作りました。…受け取ってもらえませんか?」
「……?!」
…嘘だ。
そんなことはないはずだ。
「私を、揶揄(やゆ)して…彼への予行演習か」
つまらない茶番はいただけない。私はそう言いつつ、内心が揺れていた。
「わざわざ来てもらって、そんなことしないっ」
ただ相談するだけだったら、いつもの通信ですむでしょ!と指摘を受けて、それもそうかと考えた。
だが、まさか…。そうだとしても、私はますます答えるべき言葉を見失う。

「こういうの…恋っていうんだと思う。だからこのチョコレートに、気持ちを込めたの」
は言葉の一つ一つを、大切に私へ届けようとしていた。緊張がわかる声音だった。
「どうしたらいいか、わからない。…シャドーさんだけは、特別で、ふつうと違う“好き”だから」
包みのリボンをぎゅっと握ったは、私を真っすぐ見つめた。
「大好きなの。」
それは紛れもなく、一世一代の告白だった。
…彼女の口からこんな言葉が出てくるなんて、私は考えもしなかった。


「…貴女の恋人になりたい。もう長いこと…そう思っていた」
私は自然と心中を吐露していた。彼女の真摯な瞳は、瞬きすら憚られた。
「しかし、密かに想っていればそれでいいとも思っていた」
忍ぶことが己の務め――。“ここ”に来る前からそう教えられてきた私は、臆病になっていたのかもしれない。
「済まなかった」
そして私は、気づきもしなかった。彼女に言わせてしまうほどに。
…」
リボンを握ったままの彼女の手を覆うように、私は自分の手をそっと重ねた。
触れた途端、小さくが反応した。もうずっと、緊張しているのだろう。…解いてやりたかった。
「愛している。私も貴女と、同じ気持ちだ」
――これは、禁忌だ。あってはならない行いだ。
だが…そう知っているからこそ、私はずっと焦がれていたのだ。

どちらからともなく寄り合うと、私たちはゆっくりと唇を重ね合わせた。
私のそれは人間と異なる感触だろうが、は躊躇うことなく受け入れた。それも、きっと同じ気持ちでいるからだ。
…彼女は、とても甘かった。
「っ…ぅ」
「……んっ」
漏れる声がよく聞こえた。スピーカーからの音楽は、いつの間にか止まっていた。
音なんて要らなかった。彼女さえいれば、他に必要なものなどあるだろうか。
私は…こんなに満ち足りた気持ちになったことは、今まで無かった。
「…これが、幸せということか」
間近で見るは形容し難いほどで、誰にも見せたくなくて、私はすっぽりと抱きしめてしまった。誰も居ないのは、気配でわかっているのに…可笑しなことだ。
彼女は一寸驚いたようだったが、やがて深く息を吐くと私の胸元に頭を預けてきた。
「わたしも、幸せだって思う。…大好き」
暫く、いや…ずっと、二人でこうしていたかった。


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シャドーさんは知識常識があっても、深く考えることは出来ない感じかな、と。
ぱっと見は賢そうだけど実は…っていう。そしてちょっと天然、やや鈍感。

…せっかくキレイに終わったんですけど、物足りないお嬢様はもう少しだけお付き合いをば。
次ページでシャドーさんとのおまけをどぞー。