ノックの音がした。
データ処理をしていたら、いつの間にか数時間経っていたようだ。
短く返事をしてドアを開けると、パジャマ姿のが立っていた。
書類のあふれるPCデスクが目に入ったのだろう、すまなそうに口を開いた。
「ごめん。まだ仕事中だった?」
「いや、急ぎじゃない。今日は終わりにしようと思っていたところだ」
「本当?」
「ああ。入っていい」
まだ入るのを渋っていたので手を引いてやると、納得したようで素直に入った。
「少し待ってろ、片づける」
寛いでいていい、とだけ言って、俺は散らかったデスクの書類を手早く整頓する。
「久しぶりにお兄ちゃんの部屋入ったかも」
「そうか?」
は俺と二人きりになるとこう呼ぶことが多い。好きに呼べ、と言ったらこうなった。
「いつ以来かは忘れたけど。あんまり変わってないね…、あ」
視線が定まった先は、ベッドだった。
見事なダブルベッド。広いとはいえ、一人部屋なのに不釣り合いな代物だった。
「ああ。博士が、お前のためだって。取り替えていった」
俺たちロボットにとっては寝床がベッドだろうが床だろうが関係ないが、人間はそうもいかない。日中、急に業者が来た時にはさすがに驚いた。は勉強のために自室に缶詰めだったために、気付かなかったらしい。
「へえ…けっこう壮大な計画だね、これ」
「本当だな」
博士の予算大丈夫なのかな、と心配をしつつもそれに腰を下ろす。俺がの肉親なら「無警戒すぎる!」と一喝しそうな行為だ。ところがそうじゃない俺にとっては、事態が勝手に好転しているととれる。
真新しいベッドが嬉しいのか、はスプリングのはねっ返りで揺れていた。俺が横に腰掛けると、やめてしまったが。
「ん?もう眠たいのか?」
「ううん、そういうわけじゃないよ」
子供扱いされそうだと思ったのだろう。俺も、出会った頃のスタンスがどうも抜けない。
「そうか。なら…寝転がりながら話でもするか」
「ん、いいかも。」
二人して、ごろりと横になった。
「少し、暗くするか」
天井を見上げたから、このままじゃ目がチカチカする!と突っ込まれた。こういう部分は俺らのほうが適応しやすいために、気が回らないことも多い。
落ち着いてくると、は深呼吸をひとつした。
「こうやって一緒に寝るのも久しぶりだよね」
「お前がここに来た頃は、そんなこともしてたな」
よく覚えている。は「まっしろ」だったせいか、記憶力は人一倍だった。
「そうだよ。お兄ちゃんがなんでも世話焼いてくれてたからねー。不安だったけど、すぐに安心したんだよ」
「そうか」
「本当だよ?右も左も、何にもわかんなかったんだから、わたし。お兄ちゃんがいて、本当によかった」
「そうか」
ああ…本当に、この子は俺のことを――。
「ちょっとー、そうか、ばっかり言ってないでなんか言ってよ。なんかズルイ」
「そうか」
俺を…。
「もー!!」
「じゃあ、俺のこと好きか」
――そんなお前に、俺は。
「え?」
「好きか」
俺は…。
「なに?お兄ちゃん。突然すぎるよ?……でも――好きだよ、わたし」
の言葉を最後まで聞かずに、俺は喋った。
「博士はな。好き同士なら、もっと一緒にいるべきだと言っていた。できるだけ近くにいるべきだと」
「うん?」
は、俺の言うことは素直に聞く。
「だからこういう機会を設けたのだろう。お前は、俺も、弟も、みんな好きだろう?」
「そう…だね、うん。好き。」
俺の言うことがわからなくても、は納得する。
「もっとお前との仲を深めてほしいと思っているんだ、博士は。」
「そっか、うん」
は俺の意思に寄り添う。
「ああ。そして、俺もお前との仲をもっと深めたい」
「うん…それは、わたしも」
「そうか」
その言葉を聞いて、俺は体をゆっくりと起こした。
瞬間、顔から悪い笑みがこぼれるのを自覚したが、マスク越しではに伝わらないだろう。
この、征服欲に満ちたこの表情こそが、俺の真実だ。
「あ、でも…どうしたら?」
俺は、のように清くはなれない。そんなふうに製造(つく)られていない。思考回路も、そんなふうには成長しなかった。
――俺が、あいつらの中で一番に、穢したい。
は皆のものであっても、俺はにとって特別な存在でいたい。
――俺は、あいつらの中で一番、穢したがっている。
が皆のものであっても、俺にとって最高級に特別な存在なのだ。
「それは…これから教えてやるよ」
上に聖者のような笑顔を張り付けて、を見つめた。マスクはもう邪魔だった。