家事は終わった。洗濯物も畳んだ。
一段落して、誰もいない居間を見渡す。わたし一人だと広すぎて、少し寂しい。
最近は皆忙しいようで、自室か外で仕事をしてばかりだった。
わたしの彼は、能力的に出掛ける任務がほとんどだから、この頃あまり会えていない。
でも、そろそろ帰って来るはずの時間だ。
レモンティーを淹れて一服していると、バタバタと派手な音が耳に届いた。…彼が帰って来たのだろう。
「ーっ」
この声。やっぱりクラッシュだ。わたしは嬉しさがこみ上げて、いてもたってもいられず立ちあがっていた。
――素直で、真っすぐで、いつだって一所懸命な、わたしのパートナーさん。
ドアを開け放ちこちらへ駆け寄る彼は、全くスピードを落とそうとしていない。両手を上げている。いわゆるバンザイ。
「……!」
あっ…その勢いで来られると、確実にぶつかるんだけど…きっと彼は分かっていな――
「おかえりなさ…っう!」
“クラッシュ”。
名前のごとく、彼の装甲とわたしの胸部が正面衝突した。衝撃に、肺が一瞬で圧迫される。
直前、クラッシュが跳ねて飛び込んだおかげでわたしの体は反り、視界も天を映す。そして、鈍痛。
あとは…重力に従って倒れ込むだけだった。
「ただいま!ごめんっおれ、早く会いたくって走ってきちゃった」
……下がソファで助かった。そのまま床まで到達していたら、脳震とうで済むかも怪しかった。何たって、わたしの倍以上の体重のクラッシュが、ダッシュを緩めずに突進してきたのだから。
それを分かって、クラッシュはダイブしたのかな?…いや、そういう事を考えても仕方ない。彼は“ちょっと”加減を知らないだけなのだ。
そう、クッションさまさまと思えばいいことだ。お礼に今度カバーを新しく買いに行こう。
「クラッ…ごっほごほ!」
息を吸ったら、盛大に噎(む)せた。彼に言いたかった「勢いを付けて飛びつくのは危ないから、止めてって言ってるよね」は、咳の中に消えてしまった。
「あのねっおれ、にお願いがあるんだ」
未だわたしがコンコンしているのに、クラッシュは物ともせずに瞳を輝かせていた。…わたしの上で。
不可抗力とはいえ、居間のソファでこの体勢はちょっと困る。咳き込んだ所為で涙も出てきた。
誰かに見られたら、また冷やかされちゃうな――そんな事を思いつつ、逆光で陰る彼の顔を見上げた。今日の彼は、随分とゴキゲンのようだ。
「…うん、なぁに?」
何をお願いされるやら。…とにかく聞いてみようと、わたしは訊ねた。
「っ、おれのお嫁さんになって!」
「?!」
「うお?」
……その発想は、なかった。
思わず、ガバッと身を起こしてしまった。今度はわたしの頭が彼のバイザーにぶつかるところだった。危ない危ない。
「…えーと。いきなりだよね。どうしてそうなったの」
ただいま。お嫁さんになって。…これはいろいろすっ飛ばしている気がする。
先ほどの涙を拭うわたしに、クラッシュはニコニコと話を続ける。
「知ってる?ロボットとニンゲンでも結婚できるんだって!」
「うん、そんな制度が出来たよね」
「えっ知ってたの?!」
「まぁ…」
「なんだぁ。だったら教えてくれればよかったのにー。おれはさっき知ったんだよ!」
目を円くしたと思えば、今度は頬をぷぅと膨らます。何年経っても出会ったときから変わらない、クラッシュの姿。
この頃は、彼に“かわいい”という表現をつい多用して、カッコいいと言ってと注意されてしまう。こうなったのは、わたしが歳を重ねた所為なのかもしれない。…なんだか切ない。
「あー、ごめんね」
そう謝ったら、わたしじゃなくてクラッシュのほうが見る見るうちにしょげていった。
「…、おれと結婚したくなかったから言わなかったの?」
「そういうわけじゃないよ」
これまでの状況に不満があるわけでもなかったから、気にしていなかった――というのが正解に近い。
「おれ、が大好きだから。ずっと一緒にいたいんだ」
「それは、…わたしも同じ」
伸ばされた彼のドリルアームを、両手で握り返す。
「がいたから、世の中って壊すだけじゃないんだって覚えられたと思う」
もう一方のアームが、わたしの手の上に重なった。
冷たい感触に、この手はわたしのあったかさを感じられないからザンネンだと、以前クラッシュが話していたのを思い出した。
「あとね。思ったことは、もうひとつあって」
繋がった手を彼が小さく揺する。
「おれの両手が、ふつうの手の形じゃなかったのは……やさし過ぎるの代わりに、道を切り開くためでもあるんじゃないかなぁ」
「…!」
「モノだけじゃなくってだよ、キモチの意味も入ってるのかもしれないって。博士には聞いてないけど、おれはそう思うことにした」
そこまで言うとクラッシュは、恥ずかしいこと言っちゃったかな、と頭を掻いた。
…わたしはというと、胸に火でもくべられたかのように熱くなっていた。
「…えっと、もっかい言い直すね。」
照れ笑いはすぐにしまって、真面目な顔に戻る。
わたしは知っている。彼は、ただ天真爛漫でかわいいだけではない。
「今度は、返事を聞かせて。」
クラッシュは、さっきよりも身を乗り出した。
「おれ…不器用だけど、でも!絶対、を悲しませることはしないって、誓うよ」
少し見上げるその瞳はどこまでも純粋で、曇りない。
「だから。おれのお嫁さんになって下さい。」
…こんな彼が、わたしの旦那さまになってくれるのなら――。
わたしは、わたしの為に前に出てくれる彼を、全力で支えたい。