いつもの装甲を纏(まと)えない潜入任務の時は、すごく緊張する。攻撃されたら、一溜まりもないからだ。
だけど今回は、エアー兄さんと行動するように博士に言われた。単独でないのは、心強かった。
兄さんは潜入でも破壊でも、何でもできる。僕とは稼働キャリアが1年近く違うので、知識も豊富だ。いつも頼りになるエアー兄さんを、僕は尊敬している。
「ウッド、行くぞ」
でも――驚くべきことに、エアー兄さんは正面玄関から堂々と入ろうとしていた。
「えっ、ノンチェックなの?!」
思わず僕は、小声で兄さんに尋ねてしまった。
人間らしい格好をしているとはいえ、大柄で厳つい二人の男は目立つはずだった。
なのに…いざついて行くとドアは自動で開き、セキュリティのロボットも素通りしていく。
「兄さん、これは――」
「…悪の組織の中にお前のような善がいるように、その逆もまた然り…ということだ」
エアー兄さんは表情を変えずにそう言った。
「……」
要するに…内通者がいるということだ。
兄さんは事前にコンタクトを取り、監視カメラに細工をさせて、さらにIDカードを手に入れていたのだった。
周到な根回しと、それに応じる人間。…結局誰しも、自分の利で動くものなんだろう。
それに対して、命令に忠実に動くあのセキュリティロボットがなんだか不憫に思えてくる。彼のほうが人間よりもよっぽど清らかな善人だ。
「…ごめんね」
そう告げたところで何にもならないのはわかっていたけど、言わずにはいられなかった。彼の頭を一つ撫でて、僕は兄さんの後を追いかけた。
どれくらい階段を降りたのかわからないくらい、長い螺旋階段の末に、僕たちは広い地下施設に到達していた。
目の前には、いかにも重厚な金属製の扉。なるほど、確かにこれは――いくら僕たちでも、力のある者が二人掛かりでないと無理だ。人間ではどんなに屈強でも、二桁近くは居ないと押し開けられないだろう。
「電子キーより、よっぽど信頼性のあるセキュリティだな」
「うーん、そうかも…」
だけどこれでは、開ける時に不便だろう。僕には中身が何か知らされていないけれど、日常遣いするものではないのは明らかだった。
数個の南京錠は細工して、残りももらったデータどおりに番号を合わせて解錠。あとは扉を押し開けるだけだ。
「おまえは反対側に行け。一気に押せ」
「わかった、…ッ!」
僕でさえ大変に感じるのだ、この扉は何で出来ているのだろうか。開くと、その厚みにさらにびっくりした。いったい、どうやって運んだのだろう。…きっと特殊な機械とロボット数十体は必要だったに違いない。
「持ちだすものって…これ?」
必死にここまでしてきて、扉の先にあったものは小さなデータチップ数枚だった。
「大きなものなど、この姿で持ち帰っては目立つだろう」
「それは、そうだけど…」
「撤収するぞ。また扉を戻さねばならない」
こんなにするほど、重要なものだというのはわかる。兄さんがそれを回収して室内を出ると、再び扉を閉ざして元通りに鍵を掛けた。
「…本当に、誰も来ないね」
螺旋階段を上りながら、僕はずっと思っていたことを言ってしまった。潜入中に私語だなんて、本来だったらご法度中のご法度だったのに、エアー兄さんはまるで居間にいる時のように普通に答えた。
「当然。協力者はここのナンバー2だ」
「えっ――」
僕は二の句が継げなかった。
…兄さんが言うには、この組織は内部分裂の真っただ中で、協力者はこの組織の壊滅を望んでいるらしい。先ほど回収したデータチップは僕たち――つまり博士の利に繋がることから、今回の協力関係が結ばれた…ということだった。
「どうして…そんなこと」
「人間の考えることだ。俺達には関係ない」
静かに吐き捨てるように言う兄さんは、あえて考えないようにしている――そんなふうに見えた。
「…ウッド」
まだ終わりの見えない螺旋階段の中、今度はエアー兄さんのほうから話しかけられた。
「俺は…常日頃思う。善も悪も、その者次第だ」
僕は、うん、とだけ相づちを返して言葉の続きを待った。
「愛する存在の望みを叶えること、そして…“守るべき存在”を守ること。それが俺の最優先事項だ。善か悪かを決めるのは…俺がしたところで無意義だ」
単調に歩くだけの道のりは、いつもより兄さんをお喋りにさせたみたいだ。…ここは彼が黙ると足音だけが響く、薄暗い不気味な空間だった。
「しかし――世を動かすのは、圧倒的に多数派だ。」
確かに、そうだ。無意義、と言うはずの兄さんが最も倫理観に囚われているのもそのためなんだろう。
無言で考えていると、ふいに兄さんが歩みを止めた。
「マイノリティは…つらいな、ウッドよ」
「……」
こちらを振り向かないままのその背中に、僕は返す言葉が見つからなかった。
彼は…どちらの意味でそう言ったのか。――きっと両方なのだと思う。
世界を敵に回す博士と僕たち、兄弟間でいつも意見の割れるエアー兄さん。
僕だって、どちらかというとはみ出し者だけど…兄さんのそれとはまた異なる。
「…帰ろう。俺達を待つ者がいる。」
ふっと息を零して、一瞬上を向いてから彼はまた歩き始めた。
「…うん。博士もも、遅くなったら心配しちゃうよね」
僕もその背を追いかける。
…あの“家”に待つ家族が、僕の一番大切な存在だ。
例えそれが元々プログラミングされたものであったとしても――それが兄さんであり、僕なのだ。
大事なのは、自分の気持ち。それをしっかり持てたなら…僕たちはもっと強くなれるんだと、そう思った。