Please call name. ...ver.BLUES



「ブルースさん」

「……何だ」
名前を呼ばれ、隣を歩くを見た。
研究所を去ろうとしても、この頃は彼女が敷地の端まで付いてくる。
俺を見送りたいから…というが、彼女はいつも端に着くとすぐ研究所へ引き返していく。……意図が不明だ。
「わたしね、思ったんです」
整備された道はとうに終わっていた。
雑草ばかりが主張する草むらで彼女は前を見たまま、いったん言葉を切った。俺は、その続きを待つ。
「なんだか…わたしばっかり呼んでいる気がする、って」
「……」
具体的に言わないせいで、意味が分からない。
「…何を」
「名前ですよ。わたしはいっつもブルースさーんって呼んでて、でもブルースさんはわたしのことほとんど呼ばないでしょ?」
立ち止り、こちらに振り向いた彼女は、不満げだった。
「…そうか?」
「そうです」
キッパリと言いきるその姿に――今までのやり取りを少し思い出してみた。

確かに…あまり名前を呼ぶ事はなかったかもしれない。だが、必要があれば呼んでいるはずだ。
「通じるのなら、構わないだろう」
「…そういう話でもないんですけど」
「呼んだ方がいいのか?」
別に、名前を呼ぶくらいは労でもない。
「そう聞かれるというのも、また違うような…」
「なら、どうしたらいい」
「え…えーと…」
つい先ほどとは正反対に、彼女は口ごもった。最初といい、あまり喋りたくないのだろうか。
すぐには答えそうにないので、俺も考えることにした。
…名前を呼んだ方がいいかと聞くのは、違う。
しかし彼女は、自分が呼んでばかりだから、俺に名を呼んでほしいらしい。
ということは――訊ねる前に言えばよいのか?


「…
試しに名を呼ぶと、は驚きと歓喜の表情で俺を見た。
…正解か?

ならば、続けたほうがいい。
「…え?」
――」
「ちょっ、ブルースさん?!」
呼ぶのに執心し始めたところで、彼女に止められてしまった。
「…足りないか?」
「足りないって、いったい――」
「差があるのなら、埋めればいい」
今までの不足を補ってほしいから、そう言ったのかと思ったのだが。
「…その埋め方は、ちょっと…」
はがくりとうな垂れてしまった。残念そうだった。
どうやら、俺は…不正解だったようだ。

意を汲みとる、という行為は得意ではない。要点を言ってくれれば対応のしようもあるのに、このままでは分からない。
「……。どうしたらいいんだ、
「あ、その感じ」
零れた俺の言葉に、の声のトーンが上がる。
「そういうさり気ないのでいいんですよ。たくさん言わなくてもいいんです」
「……」
「ブルースさんは、そういう感じが合うと思います」
彼女が小さく笑った。
……どうやら、問題なのは数ではなかったらしい。
自然に名を呼んでほしい。そういう意味だったのだ。
しかし、そうなるには…少しの間意識しないと、今までのようについ端的にしてしまうだろう。これは……難しい。

名前は、不思議だ。
この――ロボットの俺でさえ、呼ばれると特別な感情が湧く。
からならば、尚のことだった。
彼女は、自身でも言うように、俺の名をよく呼ぶ。…俺は、その度に大きく揺さぶられる。
ときには、負の感情も起こる。それでも…この場を離れて日を重ねると、俺は彼女の呼び声を――。

「でも…あんまり少なすぎると、…寂しい、です」
小さな呟きは瞬時に、思考に傾いていた俺を現実へ引き戻した。
目を伏せるが、俺の胸を衝く。
「――!」
ああ、これが彼女の本心なのだ。直感だが、そう思った。
そして――俺がつい先に言葉に出来なかった気持ちと、酷似していた。
…そうか。だから彼女は。


「――…っ」
彼女の名前を、呼んだ。
「きゅ、急にどうしたんですっ」
衝動、としか言いようがない。
刹那に俺は、を抱きしめていた。
「寂しくなったら…俺の名を呼べ」
…俺は、が足りなかった。
「ぶ…ブルース、さん」
彼女に、たくさん名を呼ばれているのに。
「俺も、呼び返す」
だから…彼女は、俺より遥かに足りていないのだ。
「……」
きっと、思い違いではない。
「どこに居ても…必ず、そうする」
勢いで寄ったせいで、彼女から貰った黄色のマフラーが唇を掠めていたが、構わなかった。
俺は耳元で、小さく、それでいて強く、誓った。
遠く離れて声が届かなくとも、とは通じる、そんな気がする。
理由などない、破綻した結論付け。…今更どうとも思わない。俺自体、ロボットの撥ね物だ。

「……ブルースさん…」
「…
「ブルースさん、ブルースさん…」
が、俺の名を何度も呼んだ。
必死で、今にも泣きだしそうで、…俺は、より一層彼女を抱き寄せた。
…!」
「ブルースさんがずっとここにいたら、寂しくなんてならないです」
背にまわされた彼女の腕は、俺をきつく、きつく縛った。
俺の硬い身体を、彼女は懸命に繋ぎとめようとしていた。
「わたしの名前なんて呼んでくれなくても、一緒にいられたら――!」
彼女の、本心の中の本心が、俺の心をここに留めようとする。
切ない声音、震える背。…そうさせたのは俺だというのに、どうしようも出来なくて、苦しい気持ちだけが募る。
俺は…ずっとここには、いられない。ここに居てはならない、そういう存在だ。
だが――だから、俺はを……!


「…また、我がまま言っちゃいました…」
ごめんなさい。そう付け加えたは、ふっと力を抜いて俺を解放した。
程なく、俺の身体をやんわりと押して、離れていく。
――」
「今度、旅の話を聞かせて下さい。…大好きです」
「…!」
赤くなった目で彼女は微笑んだ。無理にそうするものだから、余計に俺の心は締めつけられた。
…謝るべきはこちらなのに、口を挟む隙を与えない。
「行くんですよね。いってらっしゃい、気をつけて…」
今日も、彼女のほうから背を向ける。
見送りに来ているのに、去る姿を見たくない。ちぐはぐな行動の裏にあったのは…たった一つの思いだ。
――駄目だ、まだ居なくなっては。
、俺は」
「待ってますから、わたし――」
違う。おまえはまず、喋るのを待つべきだ。
俺に…何も言わせないつもりか、

ッ!」

俺らしくない大きな声に、彼女は弾かれたように振り向いた。
「俺は…おまえの、の為に必ず戻る」
「!」
その目が見開く。
早く、もっと、伝えなくては。に――!
「俺を……忘れるな」
…そんなことしか、俺は言えなかった。
これが今の、精一杯だった。

今度は、俺のほうから背を向けた。
彼女はただ、立ちつくしていた。
最後に、俺のアイセンサは――彼女の目じりに溜まった水が、二つの線を描くのを捉えていた。


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ブルースがふらふらしているのには、ワケがあるものと思ってます。
でも伝えるのがヘタクソだから、女子はそのワケを分かっていないでしょう。