この研究所に“潜入”して、数週間が過ぎた。
私は、“彼”が主(あるじ)の意に添え得る存在かどうかを見極めるために派遣されていた。
その“彼”の名は、<DRN.072 ギャラクシーマン>。演算能力に長けた、宇宙研究所の助手ロボットだった。
ここにおける私の立場は彼と近かった。ただし同じ助手でも、彼のほうが数段上だ。
ライト製だけあって仕事に対する周りの評価も高く、彼もまた非常に熱心だった。
彼は勿論人語を理解し流暢に会話も可能だったが、語尾のイントネーションがやや特徴的だった。そして、私が通常共に生活しているワイリー製ヒューマノイドよりも感情表現に欠ける、というのは以前に主から聞いていたとおりであった。
彼がここで働くのも、今日までだった。
もう間もなく己がスクラップにされるというのに、彼は黙々と仕事に勤しんでいた。
「…真面目ね。」
「いえ、いつもと変わらないですヨ」
彼の隣で私は紙媒体のデータ資料を整理する。ここに印字されている数字は全て、彼がはじき出したものだった。
「あなたと仕事ができて、本当に為になったわ」
「そうですか…と共に仕事をしたのはほんの短い間でしたが、ワタシも有意義でしタ」
能力が衰えているわけでもない。“使用期限”――そんなものでヒトはロボットの寿命を決めつける。
そんな決め事をぶち壊しにかかれるのは、うちの主くらいだろう。やり方は…他にもあるとは思うが。
「……ギャラクシー」
瞳を覗き込んでも、感情が見えない。愛嬌のある造形だが、それだけ、なのだ。
「やり残したこととか、ないの?」
そう問いかけると、彼は少しの間考えて、研究所の窓から空を眺めた。
「…一度でいいから、宙(そら)へ行ってみたかったですネ」
仕事が片付き時間ができると、彼はよく外に出て天を仰いでいた。
天体観測が好きだと言っていたから、昼夜問わず星を探しているのかと思っていたのだが、成程、それも影響しているのかもしれない。
「“銀河”(Galaxy)という名前を頂いたにもかかわらず、ワタシは宙に行けるような造りではありませんでしタ。」
作業の手を止め、陽の落ち始めたグラデーションの世界を捉える縦長のアイセンサ。
光が反射して、彼の銀のボディも淡く色づいていた。
「…銀河とは、どんなものだったのでしょうカ。それだけは、心残りということになるでしょうネ」
…ああ、そうか。
「ワタシは、それを数字ではないモノで感じたかったと、そう思うのでス」
もう…彼にとっては“過去形”なのだ。
「ギャラクシー――」
「考えたんでス。“銀河”を……」
デスクから離れ、だが手狭なスペースの中で彼は足踏みをした。
それはひと昔前のダンスステップのようだった。かつて私の主が盛んにしていたと聞いたことがあるくらいで、明確にはわからない。
こんなプログラムをライト製が備えているはずはなく、彼が独自に構築したものに違いないだろうが――惚れ惚れするほど華麗だった。
BGMなど無く、せいぜいPCの起動している機械音と、彼の動く音しかしない。なのに彼の周りだけ、照明が煌めくダンスホールに思えたほどだった。
しばし踊りに執心していた彼が不意に私に振り向き、縦長のアイセンサを細めた。
どうぞ、一緒に――。そう言っている気がした。
足だけを格納してふらふら浮きながら、彼は私に近づいて手をとった。
そして不器用に、くるくる回った。
ステップはあんなに上手だったのに、このアダムスキー型になると途端に不安定になって、何とも可笑しかった。
研究所で働く限り、こんなUFOの真似事をする機能は不要だ。ライト氏が付与したのか、それとも自分で搭載させたのか……どちらでもいいことだが、重力に負けそうになって上下を繰り返す彼はそれすらも楽しんでいるように見えた。
再び足を戻してステップを始めると、変わらぬキレだった。だが今回は私もそれに合わせなければならない。こんな経験はしたことがないので、焦りながらも見よう見まねで彼に合わせる。
上手い、上手いと声がした。人間でいう口にあたる部分がない彼は、そのボディ全体から音を響かせる。
ここに来てから碌に運動が出来なかったので、ロウヒールパンプスを履いた足がもたついた。それが終わりの合図になって、彼はチルアウトするようにテンポを緩め、…そしてついに止まった。
「すごい、ギャラクシー。素晴らしかった」
気分が高揚して、私はやや息を乱しながら彼にそう伝えた。
すると彼は私の両手を握りなおした。アイセンサが、ノイズがかって見えた。
「宙へ出られるならば、アナタと逃げてしまいたい」
ぽつりとこぼしたその言葉は語尾まで明瞭で、今までにない響きを持ったものだった。
私はたちまち醒めた。…そうだ。彼にとって、これはただのダンスではなかったのだ。
「こんなことをアナタに言っても、困らせるだけでしたネ…申し訳ありませン」
「……」
そうっと私の手を離し、彼はまた窓の外を見上げた。随分暗くなっていた。きっと……星が彼を呼んでいるのだろう。
「楽しかったでス。アリガトウ、」
…音が震えていたのは、気のせいではないはずだ。
彼にとっては、これが最初で最後のダンスだったのだから…!
「…ギャラクシー。あなた、まだ死んじゃいけないわ」
こんな、こんなにも“生きている”彼を――
「死なせはしない。…だからまた、会いましょう」
そう、“Goodbye”ではない。“See you again”にするのだ。
「…?」
疑問を含む彼の声を背に受けても、私は応えないまま部屋を出た。
明日になれば、私もここから消える。
思い切り取り乱して、所長に当たり散らして、彼のいないこのラボから去ってやる。
主も、彼なら首を縦に振るだろう。どう言われようが…私が振らせる。
そして主の手で生まれ変わるときには、せめて安定して浮遊できるようにしてもらおうと思う。
――そうすれば、彼も少しは銀河に舞う気分を味わえるだろうか。