もうすぐ、一日が終わる。
夜ご飯を食べた後、おれはリビングのソファでテレビを見ていた。
半端な時間を持て余して、さほど面白くもない番組をぼんやり視覚センサに映す。…短期記憶すらする気になれない。
いつもはさっさと自分の部屋に行く方が多いけど、今日はが炊事当番だから片付くまで待つつもりだった。
「あーバブル兄ぃ…」
振り返れば水仕事を終えたが、エプロンを外しながらこちらへと寄ってきていた。
「ん、どうした?ちゃん」
「今日は、疲れたー」
そして、はぁー、と大きな溜め息。急に仕事に出る羽目になった弟の分まで、家事をしてたからだろう。
「そっかぁ。おいでよ、抱っこしてあげる」
手招きすれば、当たり前のようにはおれに抱きついてきた。膝の上に乗っかって、ひしっ、とだ。
おれはそんな彼女の腰から背にかけて腕をまわした。彼女に合わせて、おれの表面温度は人肌。ぴったりくっ付いてあったかさを分け合えば、あぁそれだけでもいいかな…なんて思ってしまう。
「うん、柔らかい。この感触大好きだ」
ふわっと口をついて出たおれの言葉に、はふふっと小さく笑った。
それから少しの間、二人でそのままにしていたら、つまらないテレビ番組からスタッフロールが流れ出した。
「あ…わたし、バブル兄に乗っかってばっかりだよね、つい…」
エンディングテーマの音でテレビのほうを見て、が思い出したようにおれから離れようとする。
「いやいや、気にしないでよ。…それにさ」
「それに?」
「逆じゃあ…おれはには重たすぎるよ。足が折れちゃうかもよ?」
おれが離さないから彼女はちょっとジタバタしてたけど、そう言ったらピタリと止まった。
「えぇ!こ、このままで…いいかな…」
「いいですとも。大好きなちゃんの願いとあらば。」
「うわぁもう兄さん、恥ずかしい!」
ああ、またおれの膝の上で暴れ出しちゃった。
まぁいいけどね。…だっては、力じゃ敵わないもの。
「なんなの、アレ…」
「警戒心というものがまるで無い…」
ダイニングのほうから、ヒートとエアーの呆れたような声がした。
「あーいうの、イチャイチャって言うんでしょ?おれもしたいー」
どうも、おれたちの話をしているらしい。クラッシュが羨ましそうだ。
…んー、イチャイチャ、ねぇ。状況だけなら、そうかもしれないけど。
「なんか…バブル兄さんとって、妙に仲がいいよね」
「引きこもりバブルに、わざわざ会いに行くからね。」
チラッとそちらを見ると、ウッドもお茶を配り終えて会話に参加し始めていた。応じるヒートは、黒い子モードだ。
「しかし……が最も好いているのは、バブルではなく――」
「そうなんだよね。そこが不思議だなって…」
…おっしゃる通り。
おれは、の一番ではない。
それはひと月前に、バレンタインデーという残酷なイベントによって…誰がの一番か判明していた。
なのに――さっきのあれが、おれとの習慣だった。
これは可笑しいこと、かもしれない。
…でもおれは、そうは思わない。
とその一番の彼との仲が、進展していないから。
そして、と彼――いや、おれ以外の兄弟は、今日が“どんな日”か全く知らない。
だから今日は、最大のチャンス。そう、密かに意気込んでいた。
「そうだ、」
「なぁに?」
兄弟たちの会話は置いておいて、おれはに話しかけた。
おれが腕を離さなかったから、彼女は離れるのをあきらめて、再びおとなしく上に座っていた。
「この前はさ、義理チョコ…だっけ?ありがとね」
「え、もう一ヶ月も前だよ?そんな、改まって言わなくてもいいのに」
そうかもね、とおれは相づちを打つ。
「でさ。おれもニホンの慣習に倣ってみようと思うんだけど」
そう言って目を合わせると、は「どういうことなの?」とでも聞きたそうだった。
「ホワイトデーって、知ってる?」
「ホワイト?…わかんない」
「バレンタインデーにチョコを貰った男性が、その女性にお返しをする日なんだ。…ちょうど一ヶ月後だから、今日がその日ってわけ」
「へー!そうだったんだ、知らなかったよ」
予想通りに、彼女は感嘆の声を上げた。うんうん、知らないままでよかった。
「だから…おれね、プレゼントを用意してるんだ」
でも、ここには持って来ていない。……持ってこられなかった、とも言う。
「今日、はおれの部屋でお泊りでしょ?そっちにあるから、今から一緒に来てくれる?」
「行く。すぐ行く!」
ああ。素晴らしいほどの食い付きっぷり。さすが生け簀育ちのマーメイド。素直だ。
「はいはいわかったから、急かさないー」
まずはバタバタしないで降りようね、と促して、一緒にソファを離れた。
「ほわいとでー?!知ってた?」
「いや…」
「さすがバブル兄さん…」
「ホント、そーいうトコだけはしっかりしてるとか。やんなっちゃう」
後ろで兄弟たちがやんやと言っていたけれど、気にするの背を押してリビングを出る。
…ごめんね、兄弟たち。
でも…おれは今日に賭けてたんだ。悪く思わないでほしい。
「おれの部屋に入ったら、すぐ見えるよ」
「えー何だろう」
さて、いよいよだ。はどんな顔をしてくれるだろう。
「ホワイトデーのプレゼントの定番、らしいんだけど。だから、がくれたのと同じ、お菓子だよ」
さあどうぞ、とドアを開けた。
「え……」
「びっくりした?」
おれが用意したのは、マシュマロだ。ホワイトデーだから、白いのにした。
「これ…全部?」
「うん。いつもより余計にふわっふわになりました。」
彼女は立ちつくしていた。口が半開きだ。
よしよし。インパクトはバッチリだった様子。
そう、この――ベッドの上が、みんなマシュマロ。
サンタが担ぐような大きな袋から、白いあぶくを思い切りばら撒いた。そうしたら、おれの部屋はたちまち甘ったるくなっていた。
「聞いて、」
動くことを忘れてしまった彼女の手を引いて中に入る。おれは、そのまま目の前の白い海をセンサに映して言った。
「…きみに、おれよりも好きなひとがいるとしても――おれはが一番好きだ」
ハッ、と、息をのむ音がした。
「が埋もれるほどのマシュマロを持って来ても、この想いには足りない」
“みんなを好き”とは、違う“好き”。
それを彼女も知っているから、おれの言おうとしている意味もわかっているはずだ。
…息を一つ吸って、吐く。
甘い、と嗅覚センサが激しく訴えた。
「の一番は、他にいるはずなのに」
繋いだままのその手を、おれは少しだけきつく握った。
「一番ではないおれに…たくさん会いに来て、たくさん話をして、笑ったり泣いたり、…くっついたりする」
そのたびに、おれは嬉しくて、悲しくて、幸せで、苦しかった。
“は、おれをどうしたいの?”
“おれは、どうしたらいい?”
何回思ったか、数えきれない。
「…おれは、の口から直接聞きたかった」
振り向いたら、彼女はビクッと小さく震えた。
緊張している。混乱も…してるかもしれない。
手のひらが、湿っていた。
「教えて、」
――おれは今、酷いことをしてる?
「の一番は、誰?」
…そろそろ、気付いてくれるよね。
きみも随分、酷いことをしてたでしょ?
もうすぐ、終わるはずだ。――彼女の一言を、おれは待っている。