chill

*chill [名] 悪寒、またはそれを伴う風邪


「あれ…フラッシュ」
「…おー。どうした」
書類を博士に渡してから自室に戻る折、廊下でに出くわした。
「今日は…ずいぶん、ひえるね」
彼女はゆっくりと、俺のほうへ寄ってきた。
「そうだな」
他愛もない世間話だ。最も寒いピークは過ぎたが、確かに人間の感覚ではまだまだ肌寒く思うことだろう。
「ほんと、さむい…。さむいな――」
そう言いながら、だった。
彼女の肢体が、ずるりと俺にしな垂れてきたのだ。

「お…おい――!」
異常であるのは一目瞭然だった。顔色は悪く、浅い呼吸で小刻みに震えながら――その触れる肌は俺に体温の高さを知らせていた。
「お前…デコ貸せッ」
まるで糸の切れた人形だ。歪んだ格好のまま全く動けないでいるをいったん起こし、抱きかかえてから額同士をくっつけた。手を彼女の首元にやって確かめるも、同様。発熱しているのは明らかだった。…目測、38度半ばといったところか。
「こンの馬鹿、こんななるまで一体何やってたんだよ!」
「フラッシュ…ごめ…」
「いいから喋んな。お前の部屋行くぞ、いいな」
ひとり言のはずが、口に出していた俺も俺だったが…そんなことをに言ったところでどうしようもない。とにかくこいつを寝かせるのが先決だ。

「……」
先ほど勢いで横に抱いてしまったので、そのまま連れ運ぶしかないだろう。病人を無闇に動かすのは酷だ。
「……これは、抜け駆けじゃねェぞ」
こんな場面、他の奴に見られでもしたら何を言われるか――いや、今は非常事態だ。
…役得だなんて、俺は思ってはいない。が…彼女のこんな弱った姿は、俺以外に晒したくはなかった。


をそっとベッドに乗せ、厚めに掛け物を出してやると、悪寒は少し治まってきたようだった。
「熱が引くまで部屋から出んな。博士に感染(うつ)されたら堪んねェよ」
「ごめん…迷惑かけて」
いつもなら言い返して来るのに、この素直にしょげる姿。こいつは本当に重症だ。早く手を打たなければ、ますます悪化するのは目に見えている。
「熱冷ましと、食いやすいモン――粥でも作って持ってくる。待ってろ」
「…うん」
通信で誰かを呼んで手伝いを頼むのが最も効率的とわかっていても、俺一人で彼女の看病を受け持ちたい気持ちがそれを阻ませる。…腹汚い感情だ。

「…フラッシュ」
ドアの前まで進んでいた俺を、が呼んだ。
「何だ?」
「行っちゃうの…?」
その掠れた声音に、全身が痺れた。
弾かれたように、ドアノブまであと僅かであった手を硬直させたまま、俺は振り返っていた。足は、まるで杭でも打たれたかのように固まっていた。
「粥、…食うんだろ」
彼女のためには…薬と共にそれを一刻も早く用意して来なければならない。
「なんか…、不安…で」
それなのにはまた――俺にあやかしをもって、けしかけてくる。
「……」
半端に上がったままだった俺の腕は、緩やかに下降した。それで足もようやく動き出したが、前進ではなかった。
吸い寄せられるように、のほうへと歩んでいた。


どうやらはベッドの中からずっと俺を見つめていたようだった。
「早く治すためには、俺が薬と粥を持って来なけりゃならねェ。わかるな?」
近寄り顔を覗き込むと、こくり、と彼女が小さく動いた。
最初は気が動転していたのでわからなかったが、こうあらためて見ると…は随分な状態で、随分な顔をしていた。
弱っている姿、というのはもともと俺の好物で、敵ならば常になじって甚振りたくなるものだった。しかしそれとも異なった感覚だ。
――この女の熱に浮かされた姿は、どうしてこんなにも煽情的なのだろう。
「……」
我ながら、下衆い。相手は病人だというのに、俺は己の疼きを自覚していた。

「…でもな、お前が十分な睡眠をとるのも完治への早道だ」
「ぅ…」
額から垂れ落ちる乱れ髪をのけて、俺は頬に触れた。掌から伝わるその熱さは俺の理性をドロドロと溶かしにかかる。眉間にシワを寄せたままの、その表情。…どうにかなりそうだ。
俺は彼女にとり付く病魔すら、歓迎していた。
「俺なら感染らねェから、…好きにしろ」
これは狡(ずる)い言い方だ。の意思に沿うと宣言しておきながら、俺は薄弱した彼女が通常の精神状態でないことを見越している。言葉の裏で、彼女の本能的なリクエストを待っているのだ。

「…ん」
小さく肯定を表した彼女は、ゆるゆると掛け物の端から指を覗かせた。
「手、つないでて――」
挟むように両手で包み込めば、再び彼女の熱をひしひしと感じる。俺の手もそれに合わせ、いつもより表面を高めにしてやった。きっと心地よいだろう。
「…それだけで、いいのかよ」
もっと俺に出来ること、あるだろうが。“お願い”がささやか過ぎるんだよ、お前は。
「フラッシュなら、安心だ…」
「……そーかい」
俺に向かって弱々しく笑顔を作ると、彼女は瞳を閉じた。
…牙を抜かれた気分とは、このことか。
ったく、俺も信用されたもんだ。ヤりづらくなるだろうが…サンよ。


…俺は狼だ。言われるまでもなく承知している。だがは――赤ずきんであってバアサンじゃない。
狼は、病気の赤ずきんの寝込みを襲ったりはしない。赤ずきんには会話を楽しんだ上で襲うのが、正しい狼の姿だ。
「仕方ねぇな――」
赤ずきんが病気してたら話が進まねぇンだ、とっととウイルスなんざ追い出せ!
「お前が治るまで、待っててやるよ」
呟きが聞こえたのか、は「ん…」と声を漏らした。あの、魔性の響きだ。
…この繋いだ手は、枷だ。俺が自由に喰らいつくのを身体的にも精神的にも躊躇わせる。
それでも俺は、彼女が目覚めるまで離しはしない。…今の俺に出来る最善はこれだ。
後でには粥を、ウイルスにはぶぶ漬けでも拵えて――奴にお帰り頂いたなら、今度は狩人の目の届かない俺の部屋で彼女と落ち合うとしよう。
そこで用意するのは、もちろんハッピーエンドだ。彼女にとっても、きっと悪い話にはならないだろう。


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彼は変態だ。だが彼女にだけは紳士だ。彼は変態、且つ紳士なのだ。
「1000hitキリリクはフラッシュで」ということでしたので、時期も踏まえて風邪ネタにさせて頂きましたが如何でしたでしょうか?
なんだかんだしてもヒューマノイドには感染せないですが、それだけにずっと付いててもらえるんだぜ。

ばあちゃんがいない、赤ずきんの物語。
狩人が大量にいて、その都度で狼になり代わる時点ですでに破綻していますが、何か。

※タイトル&一部イメージはFCソフト"Dr.MARIO"の「CHILL」より。…田中宏和氏thx。