夏。
温度が上がり、夜もやや蒸し暑さを増してくる、そんな季節。
作業という名の雑用をこなすには、着なれぬ白衣は暑く重く感じる。
だから私は拾ってきた布で縫い上げた甚平を身に纏い、誰もいないラボの片隅で延々と書類を裁断機械に放り投げる。
「誰もいないのはなれてるし、干渉されないのもなれてるし、いいんだけど…。ずっと放置放任とはねぇ…。いいけどさ」
誰にも聞かれない世迷言を呟きながら黙々と処理を続けていると、急に目の前に影が降りる。
振り返れば、思いもよらぬ人物がそこにいた。
「く、クイックマン……さん……!?」
「……」
クイックマンは基本、群れずに単独で動き、戦闘以外興味を持たないと聞いていた。
ここに落ちて来てから数度しか、それも遠くからその姿を視認しただけでこんな間近に見た事は無い。
何でずっとこちらを見ているのだろうとか、何か用でもあるのかとか、そもそも音がしなかったけれどとか、内心殺されるのではと良く分からない結論を抱えながら再度声をかけてみる。
「……何ぞ、御用で、御座いましょうか…?」
「……」
緊張のあまりに言語が怪しいが、角が立たないように努めたつもりだが。だが。
重圧に似た沈黙。それが長く感じて逃げ出したくなる。
こんな時に限って普段の格好では無いとは何の因果か。今すぐ取り繕いたいがもう無駄だろう。
返答が無く、ただ只管に降り注ぐ視線。
ああ、もしかしたら、彼には私の情報が届いてないのかもしれない。その可能性が極めて高い。
ついにこの夢みたいな飛んでも無い現実に「死」で終止符を打たれるのだ、と目を閉じた瞬間。
「……!?」
急に訪れた浮遊感。続いてやってきたのは金属特有の硬さ。
どうしてか、クイックマンに担がれてしまっている。
手元に持っていた書類が足もとに散らばっていくのを見ながら完全に私の思考は停止してしまっていて。
「…行くぞ」
「え…?」
何処へ?むしろ、貴方は私をどうするおつもりなのか?
その質問は届かない。
伝える前に風を切る世界に飲み込まれてしまったから。
誰も近寄らない雑多なラボの一室。
ゴゥンゴゥン…と相手を失った裁断機械の音だけが虚しく響いていた。
通りかかった青い機体が怪訝に窺っていたが、そこで何が起きたのか。居る筈の女の姿が何処へ消えたのかまでは最高傑作の彼にも分からなかった。