人の気配もなければ照明も点いてないその部屋にはシステムラボ特有のコンピュータ駆動音だけが低く響いていた。
暗い空間でモニタの明かりだけがフラッシュの青い機体を照らす。
微動だにしない機体とは対照的に正面に据えられたモニタには複数のコンソールウィンドウが忙しなく開かれたり消えたりしており、それぞれにコマンドが流れるように動いていた。
椅子に深く腰掛け目をつぶったまま動かないフラッシュの首元からは1本のケーブルがコンピュータに繋がれている。
情報処理能力に長けた彼が機体をこのような状態にしているときはコンピュータの一部になっているかのように幾つものケーブルに繋がれている事が多い。逆に1本だけ繋げて作業しているときは機体もそれなりに活動しているのが常だ。
それなのに今は少し太めとはいえ1本のケーブルだけでこの状態になっているとあれば、かなり警戒とその状態で出来うる限りの全力を尽くして何処かへの侵入を試みているのだろう。
思いもがけない反撃と追跡があった場合、迅速に対応できるだけのスペックをフラッシュは持ち合わせているが、それでもいざというときに切断するポートは少ない方がいい。
それほどまでに相手の手の内がわからない、情報の少ない所に入り込もうとしているが故の1ケーブル。そしてそこからの全力展開。深夜の任務は静かで、しかし激しい攻防戦が繰り広げられていた。
ふいにラボの扉が開き、廊下の薄明かりが室内に入り込んだ。フラッシュに仕事を依頼したメタルが入ってきてコンソール台に向かって歩を進める。
メタルの後ろで扉が閉まればラボは再び暗くなり、モニタの光に照らし出された青が際立つ。
フラッシュの隣に立ってモニタを覗き込むときには、展開されていたウィンドウは次々に閉じられていくところだった。機体も動き始めたようで、閉じられていた目がゆっくりと開かれる。
「フラッシュ、どうだ?」
メタルの問いかけにフラッシュが眉間に皺を寄せて答える。目を閉じていたときの穏やかな顔は表情を取り戻したとたんに不快感をあらわにした。
「結果としてはダメデシタ。何ンだよこのクソ入りにくい作りは」
「表面は普通よりもあっさりしてるくらいのガードなのに、何か嫌な感じがするだろう」
「ああ、こいつは良い仕事してやがるぜ。認証の改造も再登録も回りこもうとしたところにトリガーが仕込まれてるな。正規で通過しないと何か走るようになってる可能性が高い。大方、自壊プログラムでも組まれてるんだろうさ。ヘタすりゃこっちも道連れだ。さすがはセキュアの第一人者ってワケか」
言いながら悔しそうにケーブルを乱暴に外す。
「フラッシュでも厳しいか。仕方ない、博士にご相談しよう」
あとね、と突然口調が柔らかくなった。
「作業するときは明かりぐらい付けなさいってお兄ちゃん言ってるでしょう」
「いいじゃねーか。レンズ酷使してるワケでもないし、手元に明かりが必要なワケでもない。省エネだよ省エネ」
そう言ってフラッシュは数時間ぶりに立ち上がり、終了処理中のモニタを背に出口に向かって歩き始める。
「まぁ、確かにそうだけど…」
暗闇の中に身を預けてるおまえをみると、このまま二度と戻ってこないんじゃないかと…なんて、言ってもこの弟機には馬鹿じゃねぇのと一蹴されて終わるので口にはしない。
それに、明りを点けていなかったのは深夜の作業で周囲が気に留めることのないようにという彼なりの配慮なのだろうから。
「ふむ、フラッシュまで唸らせるような代物とな?」
夜が明け、早朝ともいえる時間帯に起きて研究作業をしていたワイリー博士の元に、メタルはコーヒーの香りと共に数時間前のフラッシュの任務結果を届けていた。
「ええ、普通の生体認証なら問題なくパスできるのですが、この研究所で使われている認証はおそらく…」
報告を聞いたワイリーはしばらく考えを巡らせて一息つくようにコーヒーを啜った。
「ほぅ…そんな事を考える奴がいたとは」
「消しておきますか、博士」
「いや、ちょっと話をきかせてもらおうかの」
片眉を上げてニヤリと笑ったその目は面白そうな期待を含む研究者特有の光を湛えていた。
「連れてこい。他は消して構わん」