出掛け先から地元駅に戻れば夏独特な蒸し暑い空気が私を迎えた。迎えるなら涼しい風などのもっとマシなものがいいなぁ。
そう思うと沢山の人の流れの中、前方に見覚えのある姿が一つ。
「ただいまー」
「まだ駅だろ、ほら」
自転車を降りて迎えたのはエックスだ。うちの居候で第二のおかん―――私の脳内辞書より
自転車を止めて突き出されたのは大きな手。
「サンキュー」
バッグを自転車の籠に乗せてくれるようだ。中身に壊れるようなものは入れてないから問題無い。
私の鞄は大きな手の元に移動し、そっと籠に乗せられた。
「ここまで来るの大変だったんだからな」
大きなため息とジト目をいただきながら家へと向かい始める。駅に着いたのが大分遅いから空も暗い。歩いて帰ったら何時かなぁと思いながら返事をする。
「なんで?」
「なんでって今日は」
その後の言葉は言ってはいたのだけども聞こえなかった。発言を遮ったものはエックスの背後の夜空に咲く大輪の光の華。
「花火だー!」
「花火大会の事…忘れてたのか?」
「すっかりさっぱり忘れてました!」
あっさりと返せばデコピン一発頂戴してしまった。地味に痛い。
花火の爆発音を聞きながら額を擦っていると後ろから自転車が通りすぎた。あれは。
「二人乗り…」
「ダメ」
「このままじゃ家に着く前に熱中症になる!」
夜中に病院行きなんてごめんだよ!と駄々をこねてみる。ごめんエックス、でも私早く帰りたい。
「…倒れたら困るからな」
またため息を一つして自転車に乗ったエックス。空には花火、二人乗りの自転車、生温い風。
こんな夏も悪く無いと思いながら私は空を見上げながらエックスの漕ぐ自転車の後ろに乗った。
この作業を始めてからいったいどのくらい経ったのか。目の前に未だ積み上げられた書類の山にエックスはふっと肩を落とした。冷たい鉄製の壁で覆われたこの部屋に窓は無い。時間感覚が狂ってしまいそうだ。
暗い部屋にぼんやりと浮かぶホログラムから目を離し背もたれに体を預ける。
時計を見れば短針は既に日付を跨ぎ、5の数字を指し示そうとしていた。
「エックス」
執務室のドアが開く音に顔を上げれば、彼女の驚いた声が部屋に響いた。
「まだ仕事してたの、いつもは寝てるのに…」
「ゼロが事務処理を嫌がってさ、この有様だ」
机一杯に広がる書類を見て、唇をゆがめて彼女は苦笑する。
「でも疲れは堪るでしょう?どっかの回路切れちゃうんじゃないの?」
そう言うと彼女は別のデスクに持っていたタンブラーを置くと、エックスのデスクの側面に背を預けて座り込んだ。床に散らばった書類を一枚一枚丁寧に集めていく。
それをエックスは横目で流し、黙々と書類に訂正や必要事項を打ち込んでいく。
「これも仕事の一貫だからな、我侭は言ってられない」
「お仕事ロボットだね、エックスは」
「嫌でもやらなきゃならないことだってあるさ」
したくないことなら山の様にしてきた。きっとこれからもやりたくないことを、しなくてはならないだろう。そして明日、またレプリロイドをイレギュラーとして処理しなければいけないかもしれない。
そんな思考にエックスは再びため息をついた。そしてふと、横に座っているの彼女の動きが止まっていることに気がついた。
「…そうだね、でも私はちゃんと寝てほしいな…」
彼女はまとめた書類を膝上で整えながらぽつんと呟いた。ここから彼女の表情を見ることは出来ないが、声色と呼吸からすこし緊張しているように思える。
「明日、ちゃんと、また帰ってきてほしいから」
呟きながら振り返り、書類を手渡す彼女の目にいままでエックスが見ていたホログラムの光が反射している。
ぼんやりと青白い、朝焼けを通り過ぎたときの空の光だ。
彼女は多分、俺達の明日を見ている。